蓮教寺

  廿日市市天神に建てられている「慈恩山傳法院・蓮教寺」です。
慈恩山傳法院・蓮教寺は、浄土真宗本願寺派のお寺で、もとは真言宗で佐伯郡高井村(現:広島市佐伯区)にあり、1506(永正7)年浄土真宗に改宗。
1517(大永7)年光禅寺祐仙の次子常念が下平良に蓮教寺を創建した後、空西の時1617(元和3)年現在地に移っています。
江戸時代寛政年間(1789−1801)、浄土真宗において、三業惑乱※という騒動が起きたとき、十代住職・大龍は師・大瀛(だいえい:1759-1804)の命で上京し、本山の学頭の誤った信心のあり方を文書で得て帰広しました。この証拠によって安芸国の学僧たちは団結しこの誤りを正しました。大龍は三業惑乱の関係資料を積極的に集めています。また歴代の住職によって創建以後の文書が数多く残され「蓮教寺文書」と呼ばれています。
当寺には、1985(昭和60)年1月24日指定の廿日市重要文化財として、木造・阿弥陀如来立像、木造・苦行釈迦座像、木造・親鸞聖人旅立椅像、紙本着色・実だ並びに善導・法然三尊図(いずれも室町期作があり、昭和50年1月14日指定の地元廿日市の鋳物師・山田次右衛門尉藤原貞栄(じょうえい)によって1675(延宝3)年に鋳造された銅製・梵鐘などがあります。
(さんごうわくらん)
三業惑乱:
江戸時代、浄土真宗本願寺派に起こった教義理解をめぐる紛争。
学林の学僧を中心に、身口意の三業をあげて帰仏の儀式を行うことが必要であるとする三業帰命の学説が広がったが、それを異端とする主張が生じて対立した。宗派内では解決できず、1806(文化3)年幕府の裁断で三業帰命は異端説と定められた。
(たりきほんがん)
他力本願:
〔仏〕 阿弥陀仏が衆生を救済する本願の力に頼って成仏すること。
浄土真宗で「他力」とは、「他」とは阿弥陀仏を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。
(いっしんきみょう)
一心帰命:
疑うことなく仏に帰依(きえ)すること。
(関連語句) 芸轍(芸州轍)
2007年わたしは交流ウォーク探検隊ではじめて訪ねた蓮教寺でした、
廿日市市設置の説明板を読むと歴史あるお寺であることがわかり、浄土真宗本願寺派に起こったといわれる「三業惑乱」も知りました。
07.10.07裕・記編集

07.04.12撮影
広島県廿日市市天神3-6

07.04.12撮影

07.04.12撮影
本堂 木鼻

07.04.12撮影

07.04.12撮影
もとは津和野藩御船屋敷に植えられていた蘇鉄 鋳物師・山田貞栄によって鋳造された梵鐘



「神社寺院など」編



広島ぶらり散歩
蓮教寺
 (境内の)ソテツ


「旧(佐伯郡)廿日市町」編


inserted by FC2 system