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南区堀越・向洋地区についてこの頁で取り上げています。 |
広島の街をザックリ語るとすれば、1589(天正17)年毛利輝元(1553-1625)によって広島城の築城が開始され、1599(慶長4)年に完成したとされていることにはじまると云ってもいいのではと(わたしは)思っています。
もともと海島であった堀越、向洋地区は、仁保島村でした。
1662(寛文2)年仁保島新開完成。1713(正徳3)年鹿籠新開完成。1716(享保元)年堀越新開完成。1729(享保14)年府中新開完成。1776(安永5)年青崎新開完成などで陸続きになりました。
1889(明治22)年4月町村制発足で仁保島村設置。
1917(大正6)年8月仁保村と改称。1929(昭和4)年4月広島市に編入、旧村域は広島市仁保町となりました。
1980(昭和55)年4月政令指定都市に移行、この地区は広島市南区の行政区域内になっています。 |
以前「安芸の宮島」編の頁を作成しているときに、平清盛の娘(天女姫)にまつわる伝説があることを知り、小さな神社・疱瘡神社が今も鎮座していることを知り行ってみようと思っているうちに、何年かが過ぎました。
最近南区(区政振興課)が南区七大伝説というものを大々的に取り上げ街づくりの起爆剤としようとしていることを知りいよいよ行かなくてはと思ったのです。
現在のJR向洋駅は行政域でいえば安芸郡府中町に位置しますので厳密にはここで取り上げている「堀越・向洋地区」編には入りませんが、この地区をぶらり散歩する時の起点駅と云ってもいいところですので番外として加えています。 |
いままで「青崎・堀越地区」編としていましたが、1929(昭和4)年発行仁保村志によると村を構成している組成を堀越・向洋・淵崎・本浦・大河・丹那・日宇那の陸部と・・・と記述していますので、改題して「(南区)堀越・向洋地区」編としました。 |
12.10.21.更新 10.01.27再編集 09.06.17裕・編集 |
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09.05.02.撮影 |

09.05.02.撮影 |
(府中町青崎東)
手押しポンプ |
基準点3-11 +
JR |
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