|
広島市南区青崎に建てられている「六角堂」です。 |
南区発行「みなみ区回遊ルートMAP5青崎・堀越」等の解説によると、
『昔(明治時代の後期)、このあたりで製塩業をいとなんでいた黒田弥太郎(1918年没:行年70歳)が朝鮮出土の古代仏像六体を入手し、朝鮮より持ち帰ったもので、庭園の一隅を海岸土手に沿って高く土盛りした場所に六角堂を建て一角面毎に一体づつ仏像が安置されていたそうです。
(現在、堂は南に移動されています)
当時は向洋の漁師は朝鮮半島附近まで出漁しており、海から見たときには灯台のような役割もあったのでしょう。』ということでした。 |
(きふ) 亀趺: |
亀(かめ)の形に刻んだ、碑の台石。碑。 |
(ひき) 贔屓: |
中国の伝説上の生物。 竜が生んだ九匹の子である竜生九子(りゅうせいきゅうし)※の一匹である。 亀に似ている姿である。重きを負うことを好むという。故に石碑や石柱の土台の装飾とされる。 |
(ひいき) 贔屓: |
〔「ひき(贔屓)」の転〕 1)気に入った人に特に目をかけ世話をすること。気に入ったものを特にかわいがること。 2)目をかけて世話してくれる人。パトロン。後援者。 |
|
わたしは、この前を横を(車や自転車で)何度も通ったことがあり、変わった形をした灯台の役割を持っていた常夜灯だろうと思っていたのです。
2009年5月交流ウォーク探検隊ではじめて近くに行きフェンス越しにみたのです。
・六角堂(基壇下)両横に複数の石て造った亀?(※後に“贔屓”だろうと思います)を模した石造物が置かれていました、背にはコブ(昔は何かの碑が乗っていたかもしれませんが)がありました。
・(基壇の上に)燈明を灯す石燈籠が二基設置されていますので仏像が安置されていたと考えられるのかも知れません。
・六角堂自体をみると仏像を安置出来る構造かはわかりませんでしたが、(火袋に当る部分は)灯台の役割をしたようなつくりかなと(わたしは)思ったのですが。 |
2023年6月NTT仁保ビル外壁改修工事の撮影に行くとき、マツダ本社前バス停の一つ前で降りてこの六角堂を撮影したのです。(2022年から毎月一度撮影に行っていたのですが2023年になって見てみるかと思ったのです)
草丈が高い雑草で、両側の贔屓(ひき)は隠れていましたが、全体的には変わらないようでした。 |
24.07.16.更新 09.07.18裕・記編集 |
|
|
2009年撮影 |
2009年交流ウォーク探検隊時に、はじめて撮影しました。 |
南区発行「みなみ区回遊ルートMAP5青崎・堀越」等で、この六角堂の成り立ちがわかりましたので参照しました。 |
|
 09.05.02.撮影 |
広島市南区青崎1-5 |
|
 09.05.02.撮影 |
 09.05.02.撮影 |
|
 09.05.02.撮影 |
石燈籠でいうと火袋の部分を撮影してみました |
|
 09.05.02.撮影 |
 09.05.02.撮影 |
亀(亀趺)?それとも贔屓? 左右の亀の表情(目や口、首の持ち上げ方)に違いがありました。 |

09.05.02.撮影 |
|
|
2023年撮影 |
2023年久しぶりに撮影しました。 |
基壇両側の贔屓が隠れるほどの雑草に中にありました、。 |
|

23.06.15..撮影 |
石燈籠でいうと火袋の部分を撮影してみました |
|

23.06.15..撮影 |
石段の下側をみました) |
|

23.06.15..撮影 |

23.06.15..撮影 |
向かって左側の贔屓は雑草の中 |
向かって右側の贔屓はわずかにみえました |
|

23.06.15..撮影 |
両側に石燈籠があります |
|

23.06.15..撮影 |
六つの部屋(それぞれに仏像が安置されていたと云う)があったことで六角堂と呼ばれたのでしょう |
|

23.06.15..撮影 |
素朴なつくりの石燈篭です |
|

23.06.15..撮影 |
|