こうようじ
光洋寺
  南区向洋本町に設立されている「光洋寺」です。
光洋寺 由来                    2012(平成24)年1月 一般社団法人 光洋寺
光洋寺は、1882(明治15)年住職をもたない「向洋説教場」として設立され、大工頭は向洋船大工・原喜四郎40歳の時でした。翌(明治16)年に現在の本堂が建造されました。
その本堂は、方七間、内陣を備えた本格的な寺院建築で、約300坪の敷地・本堂建造費などは全て広島県安芸郡仁保島村向洋浦(現・向洋大原町・向洋中町・向洋本町)の住民の寄附によります。
浄土真宗(本願寺派)の信仰篤かったこの地の人々が聴聞の場を強く求めたという思いが背景にあり、1947(昭和22)年本山より「光洋寺」の寺号を認められました。また、第二次世界大戦時、金属供出で失われた梵鐘を1948(昭和23)年いち早く新鋳した他、2000(平成12)年屋根瓦の全面葺替えを完成させました。
現今も、1月「御正忌」、2月「如月忌」、3月「春季彼岸会」、3月「宗祖降誕会」、6月「布教大会」、8月「盆会」、9月「秋季彼岸会」、10月「永代経」、12月「報恩講」の各法要が定期的に営まれるなど法灯は、地域によって堅く守られ、今に継承されています。
光洋寺は、2007(平成19)年一般社団法人として基盤を強化し2012(平成24)年創設130周年を迎えました。
以前にも何度かこのお寺の前を通り、光洋寺ということはわかっていましたが、(わたしには)由来がわかりませんでした。
今(2012)年になって近くまで来たので、資料で由来がわかりましたので編集しようと撮影していなかったこのお寺を撮影しました。その時、いままで無かった由来板が設置されていました。
説明板から、寺号は1947(昭和22)年に認められたようですが、山号はないようでした。
 12.10.18.裕・記編集

12.10.13.撮影
広島市南区向洋本町16-7

12.10.13.撮影

12.10.13.撮影

12.10.13.撮影

12.10.13.撮影
北側から鐘楼、本堂裏側をみました



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