かもじ の ひ
髢之碑

  広島市安芸区矢野西の(丘上鎮座の)尾崎神社麓に建立されている「髢之碑」です。
※大阪屋吉兵衛顕彰碑にもなっています。
  髢之碑  平成29(2017)年8月吉日 矢野郷土史研究サークル発喜会
この碑は、大阪屋吉兵衛(本名・大管田吉兵衛:1784-1850)の顕彰碑です。
大正4(1915)年広島県は産業功労者として追賞しました。これを記念して”かもじ”同業者、(矢野町)町内外の多くの寄付者により建立されました。
髢(髪文字)とは、女性が髪を結うときに添える・入れる髪のことです。寛永初(1625)年創業と記すが、創業伝説による粉飾で、江戸期も後の事になります。
「千辛万苦」の末、かもじ作りの難事にに成功しました。
ひげ土(まさど)で油を抜き、黄櫨(はぜのき)による染色に思い至りました。「地の利」というか、矢野には「山あり川あり」の恵まれた自然が有ります。
かもじ産業は発展し、明治32(1899)年海外への輸出品になりました。満州(中国東北部)、ハワイ、欧米各国に及びました。これにより一躍、広島県下の重要物産になりました。
なお、近辺の極楽橋下手に、髢の洗い場(レプリカ)が設置されています。
そして、真向いの明石家(元かもじ屋)が建っています。
かもじから洋かつら・ヘアーピースへそして現在の”ウィック”時代へと(技術)製品の変遷があるそうです。
”かもじとは、”ウィキによると
『今日では、日本の女性がいわゆる日本髪を結う際に用いることが多い。人毛のほか、牛の尻尾の毛が使われる。
頭部全体にかぶる「かつら」とは別物であるが古くは両者に明確な区分はなかったと言われ、語源としては「かつら」の女房言葉表現として用いられた髪あるいはかつらに“文字”を付け加えた「か文字」という言葉に由来していると言われている。そのため、今日でも「髪文字」という当て字表現が用いられる場合がある。・・・』
〔矢野公民館の資料を参照すると〕
『かもじ製造方法(作業工程
・かもじの原料・・・「玉髪(たまげ)」「毛たぼ」(抜け毛の廃物利用)
・油抜きをする・・・粘土(ひげ土、黄色土)、蒸し上げ
※かもじの里マップ(「ひげ土」土取り場)
・解き揃える・・・マンガンに通し金櫛(かなぐし)で解きそろえる。
できあがった粗製品を「角紗」(かくさ)という。
※下職
(したしょく)までの仕事は農家が副業として各製造業者から「玉たま髪」をあずかり 請負制度でおこなった。下職の仕事場を「ひげ納屋なや」という。
・着色
① 染料釜にヘチマンを入れ蒸す。これにより黒色が濃厚となる。
② これにローハ(硫酸鉄)を割り入れて再び蒸す。着色止め。
③ 川水で洗い、土や塵を除去する。
④ 苛性ソーダにひたし光沢をつけ、消毒する.。
⑤ 川水で洗い、直射日光で乾燥させる。
⑥ 最後につづれを解き、数種類の長さの規格に揃える。(「引きじ」「抜きじ」)
・販路 日本各地のほか、欧米各国へ輸出』
(矢野略沿革)
1889(明治22)年04月01日:
1903(明治36)年12月27日:
1917(大正06)年10月01日:
1975(昭和50)年03月20日:

町村制の施行で、安芸郡矢野村(単独村制)。
官設鉄道海田市駅~呉駅間開通時に矢野駅開設。
町政に移行し安芸郡矢野町発足。
広島市に編入し、広島市矢野町になりました。
以前から資料をみて知っていた(矢野村)水害之碑を主目的に矢野地区に息子に連れてきてもらったのです。その時、JR矢野駅近くの尾崎神社も息子と一緒に参拝し、ここで取り上げた「甘藷之碑」、「髢之碑」、「(矢野町)戦役記念碑」も撮影したいと思っていたのです。
2024年に撮影していましたが、上記三碑が全体で撮影した画像が無かったので、2025年になりましたが、同じ安芸区ですが、山陽本線海田市駅で乗り換え呉線で矢野駅まで一人で乗車し撮影してこの頁を完成することにしたのです。
説明板を読むと、髢の洗い場のモニュメントとして復活しており、碑の前には明石家があると有ったので、2025年改めて撮影に出向きました。
矢野公民館の資料には、この碑文を読んだ資料はなかったので、仕方なく自信はなく間違いもあるということで読んでみました(頁中段に掲載)。
25.04.03..裕・編集

25.03.23.撮影
広島市安芸区矢野西5-544 尾崎神社麓
戦役記念碑       「髢之碑」       甘藷之碑

24.05.01.撮影
(矢野町)戦役記念碑碑                       髢之碑

24.05.01.撮影

24.05.01.撮影
正面:碑文(下段) 裏面:本村有志寄附人名 イロハ順、
髢同業組合員寄附人名 イロハ順   發起者

24.05.01.撮影
明治丗七・八年戦後=1904・5年日露戦争後
大正四年=1915年
明治丗二年=1899年
1⃣:是かと思いますが読めません
2⃣:偠かな?
3⃣:木へん+更
 
 








































































 




 
 
 




 
 
 




 




 
 
 




 
 
 















沿
革勒










3⃣



































爲縣















































































丗二







































































2⃣












滿


1⃣




























歿
































































































































































































便






沿




































































25.03.03.撮影
裏面
碑の真向いの店舗(現在・ローソンポプラ)
この頁を編集するとき説明板を読むと
真向いに元髢屋だった明石家の建物が建っているとあります。
また、宮下川に架かる極楽橋下流側に髢の洗い場を再現していると有りました。
髢之碑の真向かいは`ローソンポプラ'だったと記憶をたどってみたのです。極楽橋下流側に髢の洗い場が再現されている所を撮影していなかったので、2025年3月26日改めて訪ね撮影したのです。
ローソンポプラが後になって建てられたのであろうことで、そこまで考えが及ばず裏側をみていなかったので、分からなかったのです。

25.03.26.撮影
真向いはローソンポプラだったと思ったのです

25.03.26.撮影
ローソンポプラの裏側を見ると商家建物のようでした

25.03.26.撮影
堂々とした蔵もありました



「その他」編
地域関連記念碑など


広島ゆかりの人物関連記念碑等



広島ぶらり散歩へ
甘藷之碑(久保田勇次郎顕彰碑)
髢之碑(大阪屋吉兵衛顕彰碑)
 (髢之碑真向い)明石家
 (極楽橋下流)髢洗い場
(矢野町)戦役記念碑


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