さいのかみしゃ
賽神社
  安佐南区長束に鎮座の「賽神社」です。
*「賽神社」は長束神社の末社です。
祭  神: 猿田毘古神(さるたひこのかみ)
御神徳: 道先案内(往来安全、五穀豊穣、疫病邪霊進入阻止)
由来については、古文書がないので詳しいことはわかりませんが、往古この地域は太田川の河口にあって氾濫の度に流域が変わり陸地も定まらなかったと考えられますが、平安中期から鎌倉・室町戦国時代にかけて河川流域、陸地が次第に形成されてきて集落が生まれてきました。そして、内陸部の荘園から年貢物が太田川を下り当地で荷揚げされ掘立(帆立)地区・倉敷が一大集積地なり内海航路の結節点として繁栄しました。
広島築城後(1600年〜)雲石街道より西国街道の脇街道として長塚(長束)から河原(茅原)を経て、火山・権現峠を越え、伴・大塚に連なる道と火山の麓より畑峠を越えて己斐・草津方面に往来する人が多くなってきたと考えられますが、天明(1700年後期)、天保(1800年前期)に当地方も飢饉に遭遇し、長雨、風水害、冷害、虫害により多くの窮民を出したといわれています。
創建は不詳というものの、この様な背景からいつの頃かこの沿道・長塚(長束)に賽の神が鎮座され、地域の守護神として村人達は集落の繁栄を願い続けました。
明治維新の神仏分離の時期にも熱心な氏子に支えられ明治3(1870)年6月8日太政官布告によって神社は存続されることになりました。そして戦後、神社が国家管理を解かれましたが、宗教法人として当神社も昭和27(1952)年に長束神社の末社(賽神社)として県に届出されています。
交流ウォーク探検隊で訪ねたとき、例祭(10月初旬・第一土曜日)の段取りをされている方々がおられ、この神社についてのお話を伺うことができました。小さな神社で、わたしが利用している広島市の1万分の1の地図には記述がありませんでしたが、安佐南区発行「あさみなみ散策マップ」に紹介があり訪ねたのです。
 13.09.29.更新   08.12.23裕・記編集

08.10.04撮影
広島市安佐南区長束5-1-16

08.10.04撮影

08.10.04撮影

08.10.04撮影

12.11.03.撮影

08.10.04撮影
記念碑   (長束)市場地区の共有地 昭和11(1936)年3月(市場地区で)購入



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