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安佐南区古市の久保山神社境内社“恵美須神社の標柱”の題を揮毫した「馬淵鋭太郎」を取り上げました。 |
標柱裏面: |
廣嶋縣知事 正四位勲二等 馬淵鋭太郎虔書 |
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大正六年十月吉日 本社石工事一切 寄進者長尾氏 |
大正6年=1917 |
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2010年この標柱(注連柱:しめばしら)に刻まれた文字「百福潤衆民」「一竿還天下」に注目していましたが、この標柱の裏側を詳しく見ることもありませんでした。
2013年になりましたが、1916(大正5)年4月28日-1918(大正7)年5月7日広島県知事だった馬淵鋭太郎の書であった事がわかりましたので、この頁で取り上げました。
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馬淵鋭太郎(まぶちえいたろう:1867‐1943) |
広島県知事就任:1916(大正5)年4月28日-1918(大正7)年5月7日
美濃(岐阜)生れ。1893(明治26)年に官界入り。各県の書記官、知事を歴任。
1906(明治39)年7月-1912(明治45)年6月山形県知事。山口県知事、三重県知事。1918(大正7)年5月-1921(大正10)年7月京都府知事。知事を退官して京都市長。
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久保山神社は、2010年以来何度か参拝し、この標柱がある境内社恵美須神社の頁を編集していましたが、2013年交流ウォークの時この標柱の文字が広島県知事だった馬淵鋭太郎書ということを教えてもらったのです。
広島県知事の足跡に関心をもっているわたしですが、馬淵知事の足跡ははじめてでしたので、境内社とは別のこの頁を編集しました。 |
13.03.06裕・記編集 |