(チャップリン秘書の高野が寄附した)八木町警鐘台跡

  安佐南区八木町渡場に遺っている「八木町警鐘台跡」です。
※この警鐘台は、チャップリン秘書の高野虎市が寄附したものだったそうです。
八木村(現・安佐南区八木町)出身で、渡米後チャップリン(1889-1977)の秘書となった高野虎市が、チャップリンと共に1932(昭和7)年来日しました。
その折、八木村の生家にも立ち寄り、その際寄付して建てられた警鐘台は、この地区防災の役割を長い間担っていましたが、1991(平成3)年の台風19号で倒れ、今は基礎が残っているのみとなっています。
1889(明治22)年4月1日市町村制施行時から1898(明治31)年9月30日まで沼田郡八木村。
1898(明治31)年10月1日から1955(昭和30)年6月30日まで安佐郡八木村でした。
(こうの とらいち)
高野虎市;
(1885-1971)
八木村の庄屋に生まれる。チャールズ・チャップリンの秘書。
1900(明治33)年米国移民。1916(大正5)年チャップリンの運転手となる。のち、秘書の一人になる。1932(昭和7)年チャップリン訪日時同行。1934年チャップリンの秘書解雇。1942年〜1948年強制収容所に収容。1957(昭和32)年帰国。晩年広島で過ごす。
安佐南区役所市民部区政振興課発行:あさみなみ散策マップ「上八木ルート」を参考にして八木用水の鳴の取水までIR上八木駅から八木用水沿いに遡って行ったのです。
帰りは、もと来た道を戻らずに(歩道が整備された)県道177号線を下り鳴渡第一公園に立寄り、この(チャップリン秘書の高野が寄附した)八木町警鐘台跡をみなくてはと計画していましたので、探さなければわからないだろうなと思ったのです。鳴渡第一公園から旧道の方へ降りて行っている時にあっさりとわかったのです。それは「・・・警鐘台跡」と記述した大きな標識が目に入ったからでした。
八木用水に沿って鳴の取水口まで行っていた時は八木用水ばかりを気にしていたせいか、(八木用水の)すぐ上のこの警鐘台跡には(注意散漫なわたしは)気が付きませんでした。
 12.02.27裕・記編集

10.10.06撮影
広島市安佐南区八木町渡場

10.10.06撮影

10.10.06撮影

10.10.06撮影
寄附者 在米 高野虎市  昭和七年四月十三日 昭和7年=1932年

10.10.06撮影
警鐘台跡と八木用水

10.10.06撮影



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