安佐郡役所跡(門柱)

  安佐北区可部に残っている「旧・安佐郡役所の門柱」です。
郡役所は藩政(江戸)時代からありました。当時は旧安佐郡は高宮郡、沼田郡に分かれていました。
高宮郡役所は上中野村(後の可部町)にあり、沼田郡役所は南下安(後の祇園町)にありました。
1880(明治13)年高宮・沼田両郡合同の郡役場が南下安に置かれました。
1882(明治15)年山県郡役所を合併した際、その庁舎を可部に新築して、そこに移転しました。
             その新築庁舎は(他地方と同じように時代を先駆ける)洋館風の建物でした。
1897(明治30)年山県郡役所が分離しました。
1898(明治31)年高宮郡沼田郡の両郡が合併して安佐郡が誕生し「安佐郡役所」となりました。
1923(大正12)年郡制が廃止され、郡役所も機能を停止しました。
その後残務整理をして1926(大正15)年廃庁式をむかえたそうです。
その後、郡役所建物は安佐地方事務所など広島県の出先機関に使われました。
しかし、いまはその残り香はなく、郡役所敷地は、可部電報電話局や児童公園に姿を変え、こんにち可部吹屋公園、NTTになっています。
2013年交流ウォークの時に折目の処で、東側にみえるあの門柱は、昔の安佐郡役所の門柱ですと、可部地区のボランティアガイドをされているE氏に教えていただきましたので、撮影しました。
中国新聞ファミリー可部の記事にこの郡役場がありましたので参考にしてこの頁を編集しました。
記事には郡役所の正面の写真が掲載されていましたが著作権などで掲載できませんので図書館で“かべの町かど”を借りれば見ることができますので。
13.04.24.裕・記編集

13.03.16.撮影
広島市安佐北区可部3-47    (NTT先の民家)

13.03.16.撮影
門柱が転用されたのでしょうね

13.03.16.撮影

13.03.16.撮影



「古墳遺跡遺構など」編



広島ぶらり散歩へ
(可部折目)胡子神社
(可部折目)警鐘台跡
安佐郡役所跡(門柱)
可部吹屋公園
  (可部吹屋公園)吹屋地蔵尊


「旧(安佐郡)可部町」編


inserted by FC2 system