丸木位里作:(襖絵)松・竹・梅

  安佐北区可部の 広島市安佐北区民文化センターに展示されている丸木位里作(襖絵)「松・竹・梅」です。
丸木位里氏の襖絵について
1983(昭和58)年(安佐北区民文化センター)自主事業で「地元美術家絵画・彫刻展」を開催した際、地元安佐町出身の丸木位里氏の作品を特別展示し、オープニングセレモニー(≒開館式)に招待しました。和室で休息された時、襖に松竹梅の絵を描かれ、以来1992(平成4)年2月まで和室の襖として使用していました。
丸木位里氏は、国内外で知名度が高い日本画の異色作家であり、和室使用時に傷つけるなどの恐れがあることから、地元の有識者(可部ライオンズクラブ)より、安佐北区の財産として保存したい旨の申出があり、区民はもとより市民に常時鑑賞できるように硝子ケースに保管し、ロビーに展示しています。
丸木位里 (まるきいり:1901-1995)
日本画家。広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区安佐町飯室)生まれ。
はじめ日本南画院展、1936(昭和11)年から1938昭和13(年までは青龍社(せいりゅうしゃ)展に出品。翌(1939)年美術文化協会結成に参加、1947(昭和22)年まで会員として活躍。また、1946(昭和21)年日本美術会創立にも加わる。1947(昭和22)年美術文化協会を脱退、前衛美術会をおこすが、1949(昭和24)年には同会を退き、以後無所属となる。
1941(昭和16)年赤松俊(とし:1912-2000)と結婚。1945(昭和20)年8月6日広島に原爆が投下されると、飯室の船宿をたたみ広島市の三滝(現・西区三滝)に移住していた父母など実家の家族の安否を気遣い、俊とともに被爆直後の広島に赴き救援活動に従事。この体験をもとに1950(昭和25)年妻の俊と「原爆の図」第一部「幽霊」を共同制作、同(昭和25)年第3回日本美術会アンデパンダン展に出品して大きな反響をよぶ。以後、「原爆の図」は、「火」「水」と描き続けられ、1953(昭和28)年これに対して国際平和文化賞(世界平和評議会による金メダル賞)が与えられた。これらを公開するため、1966(昭和41)年埼玉県東松山市移住、原爆の図丸木美術館を1967(昭和42)年開設。1970(昭和45)年米国各地で巡回展が催され、1984(昭和59)年までに15部が完成した。晩年は水墨による自由で力強い風景画の制作にも取り組んでいた。
ここ安佐北区民文化センター玄関前植え込みの中の赤御影作品の作品名と作者名のプレートがなかったので、館事務所で、尋ねたのです。若手の職員の方だったので、先輩などに尋ね調べて下さり、教えていただきました。館(所蔵)の絵画彫刻などの資料を写している時、その職員の方に丸木位里作品(絵画:マッターホルン))が展示してあるのですねと話したのです。その時、ここで取り上げた「襖絵」も丸木位里作品ですよと教えていただいたのです。
襖絵には注目していなかった迂闊なわたしは、この話しがなかったら撮影することもなかったろうな〜と思いました。
13.04.04.裕・記編集

13.03.16.撮影
広島市安佐北区可部7-28-25  広島市安佐北区民文化センター

13.03.16.撮影

13.03.16.撮影



「野外彫刻など」編



広島ぶらり散歩へ
   (安佐北区民文化センター展示)
沖田利紀作:北の詩
空充秋作:希望
空充秋作:(壁画)光の里
丸木位里作:マッターホルン
丸木位里作:(襖絵)松・竹・梅


「旧(安佐郡)可部町」編


inserted by FC2 system