(東広島市)原爆死没者慰霊碑

  東広島市八本松南の八本松地区センターに1993(平成5)年建立された「東広島市原爆死没者慰霊碑」です。
正面: 原爆死没者 慰霊碑
     東広島市長  讃岐照夫 書
裏面: 昭和20(1945)年8月6日広島市に、9日長崎市は、人類史上初の原子爆弾を投下され、両市は一瞬にして焦土と化し60余万人が被爆し、20数万人が尊い命を奪われた。
被爆50年を迎えるにあたり、東広島市内の原爆により死没された方の霊を慰めるとともに核兵器の恐怖と平和の尊さを後世に伝え、広島、長崎の惨事が再び繰り返されないことを願い、心を新たにして今後永遠に平和であることを希求し、東広島市内の被爆者が中心となって此の碑を建立する。
   平成5(1993)年2月吉日  東広島市原爆被害者の会(木村孝義会長)
讃岐照夫 (さぬき てるお:1920-2016)
賀茂郡西条町出身。県立西条農学校卒業。
広島県商工労働部長、民生部長、出納長。東広島市長5期(1978-1998)。
1999(平成11)勲三等瑞宝章受章。2016年7月7日肺炎のため死去。
東広島市八本松福祉センター松翠苑で毎年原爆死没者慰霊式が執り行われていると新聞報道などで知っていたのですが、今(2009)年訪ね頭を垂れました。黄金週間でしたので休館中でしたが、この4月から福祉センター松翠苑は八本松公民館に名称を変えていました。
2015年8月31日中國新聞報道で次のことを知りました。
『東広島市原爆被害者の会は8月30日東広島市八本松南の八本松地域センターで原爆死没者慰霊式を開いた。
被爆者や遺族、市幹部、市議たち約80人が参列した。
死没者名簿の奉納に続き、高山等会長(85)が式辞で「今なお地球上に多くの核兵器がある。もたらされる非人道性を若者たちに継承しなくては」と声を振り絞った。
毎年8月1日前後に開催してきたが、ことしは役員の多忙などの理由でずれ込んだ。市によると、市内で被爆者健康手帳を持つ人は3月末時点で2,340人。昨(2014) 年同期より139人減った。』そうです。
2015年久しぶりに今回はJR八本松駅から徒歩で行きました。ぶらりしながらでしたので≒15分ほどかかり、建物裏手のこの碑を撮影しました。今回撮影画像を加えこの頁を再編集しました。
15.12.23.再編集    09.05.28 裕・記編集

09.05.05撮影
東広島市八本松南2-1-1  八本松地区センター(元・福祉センター松翠苑)

09.05.05撮影

09.05.05撮影

09.05.05撮影

15.12.20.撮影

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15.12.20.撮影

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15.12.20.撮影

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