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東広島市八本松南に建てられている「八本松歴史民俗資料館」です。
*2020年度に新市立美術館が西条に開館することが決まったようです(ので)。
この八本松地区の歴史を伝える八本松歴史民俗資料館の充実が必要ではなのかと思うのです。
民俗資料館を旧市立美術館も包括した民俗資料館に整備したらと思わずにはおられません。 |
現在JR八本松駅を中心とした地域を八本松※と呼んでいます。八本松歴史民俗資料館は1974(昭和49)年に建設され、1977(昭和52)年「生産」をテーマに東広島市の産業と生活を考える場として開館しました。
東広島市では良質な粘土を産するところから、土器作りが盛んに行なわれ、焙烙(ほうろく)や土瓶(どびん)など生活に密着したものが多く焼かれ、地域の特長でもある赤瓦もこの地で焼かれていました。そのような日用的な焼き物を展示。また、明治時代に梵鐘(ぼんしょう)、農機具などの鋳物も作られておりその鋳型や、機織(はたお)りや糸紡(つむ)ぎの道具なども展示されています。 |
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この地「八本の松」の語源は、1635(寛永12)年江戸幕府諸大名の参勤交代のために、この地に一里塚が作られたことからはじまりで、街道を挟んで植えられた松の木の飯田側が男松、宗吉側が女松で双方とも根元から4本の枝が分かれて四方に広がり交差していたことから「八本松」という地名になったそうです。 |
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『見学を希望される方は、北隣の市立美術館へ、お申し出ください。東広島市教育委員会』という標識が出入口扉に取り付けてありましたので美術館を見学した後、美術館員の方にお願いして解錠していただき見学できました。
内部の撮影は美術館員の方のお手数を取らせて申し訳なかったのですが、教育委員会に連絡をとっていただきましたが担当者が休みということで、外から撮影しましたので、鍛冶場復元や明治30年ころまで続いたという小谷焼(現・高屋町小谷での)などの画像での紹介ができませんでした。
2015年隣の八本松地域センターに建立の原爆慰霊碑をJR八本松駅から歩いて訪ねましたので、この資料館の外観も撮影していました。 |
18.10.12.更新 09.06.25裕・記編集 |