寺家駅完成記念碑

  東広島市西条町寺家のJR寺家駅南口に建立されている「寺家駅完成記念碑」です。
今(2017)年3月4日 、JR西日本山陽本線に開業した寺家駅前に建立されている「寺家駅完成記念碑」です。
*碑の除幕式は3月3日に行われました。
*碑は、御影石製でH≒1.4m、w≒1.5mだそうです。
寺家駅完成記念碑                     東広島市長 藏田義雄書
この「寺家駅」は、寺家地区(旧・寺家村*1)の出入り口であると同時に賀茂学園都市(東広島市)の玄関口の一つです。
この駅の建設は、地元・寺家地区住民の長い間(昭和62年より)の悲願であり、その熱意と重要性を東広島市及び西日本旅客鉄道(株)広島支社のご理解のもと設置された請願駅です。
駅の建設費は、市の街づくり整備費に地元「一般財団法人寺家会」が会員の理解のもと寄付をしたものです。
寺家地区には太古より人が住み、修行の場としての寺院が多く点在していたので「寺家」と言う地名になったと言われています。*2
「寺家」のある西条盆地には安芸国の国分寺もあり古代山陽道がこの駅の北側を通り、この付近に「木綿(ゆうつくり)駅」*3があり、馬二十疋が常備され乗り継ぎの駅となっていました。
このように寺家地区は太古より交通の要衝の地で、古代の山陽道、中世の山陽道、国道二号線、山陽自動車道や山陽本線が通っているところです。
この「寺家駅」は、今後地元寺家地区だけでなく、東広島市の発展の核となることが期待されています。
平成29(2017)年3月4日   寺家地区まちづくり研究協議会 会長 石井康隆   
*1 寺家村に関わる略沿革(近現代に於いては、それぞれの自治体で寺家という大字・字名でした)
中世(南北朝~鎌倉期)に安芸国賀茂郡東西条のうち、1336(建武3)年3月の桃井義盛下文で熊谷直経(1283-1365)に預けられたうちに「西条郷内寺家分地頭職」とある(熊谷家文書)。
中世、近世に於いて寺家村でした。
1889(明治22)年4月1日町村制の施行により、寺家村+西条東村=寺西村。
1939(昭和14)年7月1日西条町+吉土実村+御薗宇村+下見村+寺西村=(新)西条町。
1950(昭和25)年4月1日西条町から(西条東・寺家)が分立して寺西村(に戻る)。
1952(昭和27)年4月1日寺西村は町政を施行し寺西町となる。
1959(昭和34)年10月1日寺西町は西条町に編入。
1974(昭和49)年4月20日西条町+八本松町+志和町+高屋町=東広島市(発足)。
*2 地名辞典によると
『寺家の地名の由来は、古くは江良田と呼んだが、寺院が多いので寺家と改めたと(国郡志書出帳)にある。しかし、江良田は「西条柿縁起」の読み誤りで、寺家は同縁起に出る鎌倉永福寺の荘園の預所から出た名ではないかと推測される。』とあります。
*3 645(大化元)年の大化改新によって都と地方とを結ぶ重要な道として7つの道が官道とされ、この七道は大路(だいろ)・中路・小路と3つに区分されましたが、大路は山陽道だけで、都と大宰府とを結ぶ最も重要な官道として位置付けられました。
(広島)県内の山陽道は岡山県井原市から入り、山口県岩国市に抜けたもので、その間に備後国に5(『延喜式』では3となっています)。
安芸国における古代山陽道の駅は、真良~梨葉~都宇~宇鹿(鹿附)~木綿~大山~荒山~安芸~伴部~大町~種箆~濃唹~遠管の13駅となっています。
JR寺家駅が開通したら撮影しようと思い、(3月4日開業)して間もなくの3月14日に撮影に行きました。
新聞報道でこの寺家駅完成記念碑が建立されていることを知ったので、駅を撮影するとともにこの碑も撮影しようと思っていましたが、どこに建立されているかはわかりませんでした。
最初に駅から出た駅南口正面の一番目につきやすい処に建立されていました。
17.03.18.裕・記編集

17.03.14..撮影
東広島市西条町寺家  JR寺家駅南口

17.03.14..撮影

17.03.14..撮影

17.03.14..撮影

17.03.14..撮影
(記念碑の裏面・側面には何も刻まれていません)



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