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東広島市西条町下三永の福成寺境内に建立されている「源三位頼政卿竝西妙尼一族追慕碑」です。
※源頼政八百年忌の記念として源頼政、西妙尼の子孫によって建立されています。 |
表面: |
源三位頼政卿竝西妙尼一族
追慕碑 |
裏面: |
頼政卿八百年忌ヲ修シ末流
六十九世藤沢理照記之
1980干時昭和五十五年八月吉日福成寺住職
左之源芳名氏中 三戸、水戸、三見、小田氏
7名の住所姓名 |
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源頼政(みなもとのよりまさ:1104-1180) |
平安末期の武将。従三位に進み出家して源三位げんざんみ入道と称された。
平治の乱(1159年)では、平清盛(1118-1181)につく。
1180年以仁王(もちひとおう)を奉じて平氏追討のために挙兵したが宇治で敗死。宮中の鵺(ぬえ)退治などの武勇にすぐれ、和歌にも長じたことから、後世、謡曲・浄瑠璃などに脚色された。家集「源三位頼政卿集」
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東広島市西条に伝わる伝承 |
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頼政敗死の後、その室・菖蒲前は息子の種若丸と共に、頼政の郎党・猪野隼太に導かれて安芸国賀茂郡下原村に隠れ住み源氏の再興を待っていました。
建久2(1191)年後鳥羽天皇の代に源氏の世となり、菖蒲の前は源頼朝(1147-1199)より賀茂一円の地を賜り、その子豊丸は水戸新四郎源頼興と名のり一宇を建立して父・頼政の菩提寺としました。
菖蒲前(あやめごぜん)は得度して西妙尼と称していました。 |
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広島ぶらり散歩「広島新四国88ヵ所霊場」編を2008年編集して以来まだ満願とはなっていません。
そこで今(2018年)回まだお参りしていない賀茂地区の四つのお寺を訪ねたのです。
まず、(勝谷山)観現寺をお参りし、次いでこの(表白山)福成寺をお参りしたのです。 |
先にお参りした観現寺の縁起で頼政の室・菖蒲の前に関する伝承を知らなければこの追慕碑を撮影することもなかっただろうと思いました。
同じ西条町とはいえ観現寺ではなくここ福成寺にこの「源三位頼政卿竝西妙尼一族追慕碑」が建立されていることの意味を考えなくもなかったのですが、それ以上の詮索はやめて、この碑を撮影しこの頁を編集しました。
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18.03.30.裕・記編集 |