(河内町)忠霊塔

  東広島市河内町中河内に建立されている「(河内町)忠霊塔」です。
※碑の表面仕上げがモルタル塗りのようですが、裏面・側面はクラックが目立っていました。
正面: 忠霊塔
側裏面:   -なし-
広島県遺族会の資料を参照すると
『この忠霊塔の建立は、昭和10(1935)年。英霊95柱を祀る。』とあります。
この碑が建立された昭和10年は、日本政府が紀元2600年(=昭和15年)にむけて「紀元二千六百年祝典準備委員会」を発足させ、“神国日本”という(当時・戦争へ向けての)国体思想を徹底させようとした動きと期を一にした忠霊塔建碑だったのだろうと(わたしは)思いました。
日清戦争(1894・1895)、北清事変(1900・1901)、日露戦争(1904・1905)、第一次世界大戦(1914-1918)、シベリヤ出兵(1918-1922)までの戦没者の方々ではないかと思います。
〔支那事変(1937~)にはじまり太平洋戦争に拡大していった戦争は建立年から含まれないのではないかと思いますが〕
1889(明治22)年4月1日市町村制施行時(下河内村+中河内村+上河内村+河戸村=)大河村発足。
1924(大正13)年4月1日(豊田郡)大河村が改称、町制施行して(豊田郡)河内町が発足。
今(2017年)回ここ河内町を訪ねた主目的は、圓鍔勝三作「大原博夫銅像」を撮影することでした。
像が建立されているという河内地域センターを地図でみようとしたとき、JR河内駅近くにここで取り上げた「忠霊塔」があったのです。訪ねてみなくてはと思ったのです。
今回JR河内駅付近をぶらり散歩するにあたり参考にした東広島市発行「東広島てくてくマップ8 河内駅」には紹介がなかったので、地図をみなかったら“河内大橋”を撮影し終わりだったな~と思いました。
17.09.25.裕・記編集

17.09.08.撮影
広島県東広島市河内町中河内  (河内大橋の東側すぐ先)

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影
碑の裏面側面には(横方向の)クラックが目につきました

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影



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