のりとやま はちまんじんじゃ
祝詞山八幡神社

  東広島市安芸津町風早に鎮座している「祝詞山八幡神社」です。
*拝殿でみた「奉納額・日精丸」、"奉納絵馬・題材不明”をも取り上げました。
*また、境内の広島県の天然記念物「コバンモチの群落」も取り上げました。
・祭神
品陀和気尊 (ほんだわけのみこと)
帯中津日子尊 (たらしなかつひこのみこと)
息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)
・由緒
棟札によると貞観三(861)年に風原氏が豊後国宇佐八幡宮を勧請したと伝わっています。
風早氏は伊予国国造の一族で、六世紀頃この地に住み、水駅〔≒古代律令制における駅伝制度において船や水夫(丁)を配備して河川や湖沼の横断に便宜を図った駅〕の長などの職を勤める。地名も風早と称し、万葉集にも現れています。境内には万葉歌碑と万葉陶壁画が建立されています。
棟札は、貞和三(1347)年、明応七(1498)年、永正三(1506)年、天正十一(1583)年など多数が保存されており、貞和度は高藤為重、明応度は小早川弘平が大願主となり、江戸時代になって宝暦二(1752)年には藩主・浅野宗恒(六代:1717-1788)の寄進を得て村人などが社殿を再建しています。江戸期以後の棟札は十九枚有ります。
1889(明治22)年4月1日
1943(昭和18)年1月1日
2005(平成17)年2月7日
町村制の施行で、賀茂郡早田原村(=風原村+大田村+小松原村)が発足。
賀茂郡三津町+早田原村+豊田郡木谷村=豊田郡安芸津町発足。
東広島市に編入。(東広島市安芸津町となる)
(当時は)豊田郡安芸津町の町営住宅の建設で、約一年ほどアパートの一室を借り単身赴任で同僚と住んだのは既に四半世紀弱も前になりました。風早の現場だったのですからこの神社からそう遠くないところでの工事だったというのにこの祝詞山八幡神社のことは知らなかったのです。
2017年JR風早駅の頁を編集していた時に、万葉歌碑がここ祝詞山八幡神社に建立されていることを知ったので、いつかは参拝し歌碑を撮影しなくてはと思ったのです。
2022年暮れになりましたが、息子運転の車で連れてきてもらいましたので、参拝したのです。
23.03.30.裕・編集

22.12.30.撮影
東広島市安芸津町風早354

22.12.30.撮影
神社額:祝詞山八幡神社

22.12.30.撮影
「人者依神之徳添運」   (まさしく)注連縄柱   「神者依人之敬増威」

22.12.30.撮影
新年を迎える掃除が行われ飾られていました

22.12.30.撮影
拝殿(26坪)から幣殿(9.5坪)越しに本殿(下段に画像)をみました

22.12.30.撮影
神輿舎ではなくここ(拝殿)におかれていました

22.12.30.撮影
本殿:三間社流造、銅板葺き(間口二間半、奥行二間半)。1939(昭和14)年再建
奉納絵馬、奉納額
日精丸
総トン数:238,518トン。載貨重量:484,377トン。全長:378.86m。型幅:62.0m。航海速力:14.7ノット。
1974(昭和49)年12月20日(呉にて建造され)進水、翌(昭和50)年6月26日に呉の港を出航して以来25年間、ペルシャ湾と喜入基地(鹿児島県にある世界最大級の石油備蓄基地)との間を128往復、航走距離180万マイル、8億40004万キロリットルの原油(日本での約3年半分の使用量)を無事故・無災害で輸送しました。その間、イラン・イラク戦争が勃発した1980(昭和55)年から4年間、石油公団の洋上備蓄船として従事し、その後、戦時下のペルシャ湾へ向かい、危険海域での航海を途絶えることなく続けました。1989(平成元)年には遭難したベトナム難民35人を救助し、その勇気ある行動に対し政府はじめ各方面から表彰を受けました。
2000(平成12)年シンガポールに売却され、「ARCTIC BLUE」と改名。その後2003(平成15)年に解体されました。
久しぶりに奉納額に目が行きました。
タンカーの写真でしたので帰宅後NET検索で呉で造られたからだなと思ったのです。
また、もう一つ目に留まったのが文政年間のものかなと思いましたが、撮影画像を拡大して見るとそれよりも古い寛政年間でしたので取り上げましたが、題材の場面がわたしにはわからないのです。

22.12.30.撮影

22.12.30.撮影
〔奉納〕寛政七歳乙卯八月穀旦  (=1795年)
画題材不明(わたしにはわからない題材)
昭和49年12月20日484,337t 日精丸
石川島呉造船所世界最大タンカー
祝詞山八幡神社のコバンモチの群落
所在地:安芸津町大字風原字九日面 祝詞山八幡神社境内
   JR(呉線・風早駅から北へ≒1.5km)
 昭和59(1984)年11月19日豊田郡安芸津町 〔平成17(2005)年2月7日より東広島市安芸津町〕
広島県の天然記念物として豊田郡安芸津町時代の1984年に指定されましたが、2005年東広島市に編入されています。
コバンモチは、ホルトノキ科に属する常緑高木で、枝はやや太く、葉は互生し、緑葉の中に時々赤くなった古い葉が混じっています。葉と葉柄との間に関節があり、羽柄の上端は紅色を帯び、膨れています。葉は卵状楕円形で先は急にとがっていて、縁にはのこぎり状の歯のような低い切れ込みがあります。
花は夏の初めに小さい柄のある多数の淡黄色の花を付けます。果実は長楕円状球形で直径は≒1cm、初めは緑色、後に灰緑色になります。
日本名のコバンモチは、葉がモチノキに似ているが、ずっと広いので小判(江戸時代の広楕円形の金貨)形に見立てたものです。
暖帯南部、亜熱帯に分布し、わが国では本州の紀伊半島、四国、九州の山中に生えていて、本州西部が生育の北限と云われています。
祝詞山八幡神社境内には、胸高周囲1m前後のものが、多数群生しており、人手の加えられていない群落としては(広島)県内でも珍しく、原生状態をよくとどめています。

22.12.30.撮影
 

22.12.30.撮影
もりをみましたが木をみなかった



広島の神社寺院」編



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祝詞山八幡神社
  (境内社)風早審麿神社孝子風早審麿碑
  萬葉歌碑万葉の陶壁画
  松田弘江歌碑


「東広島市」編


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