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東広島市安芸津町風早の祝詞山八幡神社の境内社「風早審麿(かざはやあきまろ)神社」です。
※また、神社でお祀りすることになった「風早審麿碑」が神社奥に建立されていますので、取り上げました。 |
・由緒
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風早氏は伊予国国造(くにのみやつこ)の一族で、六世紀頃この地に住み、水駅の長の職を勤め、地名も風早と称すようになりました。
風早審麿は、“続日本後紀”に天長十(833)年孝子として位三階に叙し戸田租を免ずと記された人物です。 |
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1889(明治22)年4月1日
1943(昭和18)年1月1日
2005(平成17)年2月7日 |
町村制の施行で、賀茂郡早田原村(=風原村+大田村+小松原村)が発足。
賀茂郡三津町+早田原村+豊田郡木谷村=豊田郡安芸津町発足。
東広島市に編入。(東広島市安芸津町となる) |
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参拝で社殿に向かっていた時、左手に大きな“東広島市指定重要文化財”という説明板(下画像)をみたので立ち止まり読んでみました。
横に神社があり、その奥に碑がありましたので撮影して頁を編集することにしました。
説明板の年月日からまだ豊田郡安芸津町時代の説明板を2005年東広島市に編入された折りに、安芸津町を東広島市に書き換えたのでしょう。しかし最後の教育委員会は書き換えミスで"東広島町教育委員会”になっています。
また、この頁を編集しているときに、説明文の中に和暦と西暦と干支いずれも間違っていることに気が付きました。 |
23.03.30.裕・編集 |
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22.12.30.撮影 |
東広島市安芸津町風早354 |
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22.12.30.撮影 |
手前:風早審麿神社 奥に:孝子風早審麿碑 |
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22.12.30.撮影 |
社殿 |
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孝子風早審麿碑 |
東広島市指定重要文化財 昭和六十一(1986)年三月三十一日 安芸津町教育委員会
種別:史跡
名称:(彰徳碑)孝子風早審麿碑
所在地:祝詞山八幡神社境内 |
風早審麿公は、正史(続日本後紀)淳和天皇天長十一(833)年辛卯天皇より孝養を賞られ、位三階に叙され戸田租(租税)を免せられたことが、紀されている。
以来□碑、藩儒・頼杏坪(1756-1834)の"芸備孝義伝”(巻頭に特記)によりその徳行伝わっていたことを、木原保太朗が発起人になり、後世に伝え郷土の誇りとして、彰徳碑を明治四十二(1909)年十月に建立された。
碑表文は、安芸国藩主(だった)・浅野長勲(1842-1937)侯が揮毫。
碑陰文は、龍谷勧学・島地黙雷(1838-1911)。揮毫は風早尋常高等小学校校長・早田二郎。 |
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2005(平成17)年2月7日豊田郡安芸津町は東広島市に編入されました。
説明板には、安芸津町教育委員会→東広島町教育委員会となっています。
町を市に訂正していません。 |
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×碑文に間違いがあるようです。
・天長11年=西暦834年で干支は甲寅(天正11年は1月2日までで、1月3日からは承和元年)
・833年=天長10年で干支は癸丑。
・干支の辛卯は、(833年の近くで調べると)811年、871年。
上記のようなので和暦、西暦、干支いずれも合わない。
*広島県神社誌によると「天長十(833)年」とあります。干支は記述がありませんが、癸丑です。 |
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22.12.30.撮影 |
左標柱:忠萬善之成 右標柱:孝百行之本 |
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22.12.30.撮影 |
22.12.30.撮影 |
揮毫:浅野長勲(1842-1937) |
撰文:龍谷勧学・島地黙雷(1838-1911) |
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22.12.30.撮影 |
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