(祝詞山八幡神社)萬葉歌碑万葉の陶壁画

  東広島市安芸津町風早の祝詞山八幡神社境内に建立されている「万葉歌碑」です。
※また、万葉歌碑の根際に建立されている「万葉の陶壁画」も取り上げています。
   「万葉の里」安芸津町〔の説明板〕
万葉集には、天平八(736)年に新羅国に派遣された大使阿倍継麻呂(?-737)の使節団一行が、風早の浦に船泊まりした夜に詠んだ歌二首が残っています。
〔奈良時代、作者不詳ですが、副使の大伴三中の作ともいわれる。〕
旅に出るとき妻から贈られた次の離愁の歌を思い出して、夫が詠んだ歌です。
・妻の歌
「君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち歎く息と知りませ」(巻15 3580)
・夫の歌
「わがゆえに妹(いも)歎くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり」(巻15 3615)
「沖つ風いたく吹きせば我妹子(わぎもこ)嘆きの霧に飽かましものを」(巻15 3616)
妻がわたしのことを思って嘆いているようだ、風早という地名のように風が吹いてくれたならば、妻の嘆きの霧を思いのままに受けとめることができようものを・・・・。
潮の流れ、風、波など危険が伴う長旅を続ける夫と、留守を守る妻の素晴らしい愛の歌です。
この万葉びとの心をいつまでも伝え、美しいふるさとの自然を大切にしたいとの願いをこめて、この万葉陶壁(画)を建てました。
   製作:日展特選入選者・財満 進
 平成二(1990)年10月吉日
   安芸津町長:三好祐三  祝詞山八幡神社宮司:富永則之
和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利  (遣新羅使 巻15 3615)
わたしが元であの子が溜息をついているらしい、ここ風早の沖辺には霧が一面に立ちこめている。
於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎 (遣新羅使 巻15 3615)
沖から吹く風その激しい風が吹きでもしてくれたら、いとしいあの子の嘆きの霧に心ゆくまで包まれていることができように
1889(明治22)年4月1日
1943(昭和18)年1月1日
2005(平成17)年2月7日
町村制の施行で、賀茂郡早田原村(=風原村+大田村+小松原村)が発足。
賀茂郡三津町+早田原村+豊田郡木谷村=豊田郡安芸津町発足。
東広島市に編入。(東広島市安芸津町となる)
2017年JR風早駅の頁を編集していた時に、万葉歌碑がここ祝詞山八幡神社に建立されていることを知ったので、いつかは参拝し歌碑を撮影しなくてはと思ったのです。
2022年暮れになりましたが、息子運転の車で連れてきてもらいましたので、撮影できたのです。
23.03.31.裕・編集
萬葉歌碑
「わがゆえに妹(いも)歎くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり」(巻15 3615)
「沖つ風いたく吹きせば我妹子(わぎもこ)嘆きの霧に飽かましものを」(巻15 3616)
歌碑横の説明碑(画像は下段)
「碑面の歌は聖武天皇(701-756)時代の天平八(736)年丙子夏六月新羅國へ派遣された大使阿倍繼麻呂 副使大伴三中等の使節団一行が新羅國への途次この風早の浦に船泊りされた夜一行の一人が詠まれた歌で萬葉集の巻十五に収録されている
この歌は作者が夕べのとばりがひっそりとこの浦に迫る時沖辺に棚びく夕霧を眺め旅立ちのおり妻より贈られた離愁の歌
 君がゆく浜辺のやどに霧立たば 吾が立ち嘆く息と知りませ
を思ひ浮かべ遠く家郷に残した妻へのつのる慕情を詠まれたうたである
往昔風光明媚な風原の浦は瀬戸内の泊地として大きな役割を果し海路往来の旅人悲喜こもごもの旅情を留めた所である
今有志者相諮りこの浦で詠まれた古歌二首を岩に刻み茲に建てる
この歌碑が後の世永く萬葉の故地風早の浦のいにしえをがとなれば幸いである」 
   

22.12.30.撮影
東広島市安芸津町風早354 祝詞山八幡神社境内
「松田弘江歌碑」    「萬葉歌碑」  「万葉陶壁画」 「万葉の里・安芸津町」説明板

22.12.30.撮影
"風早乃浦”   「萬葉歌碑」   “萬葉故地”





































たな






に 妹
嘆く























揮毫:松田弘江
(書家・歌人)

22.12.30.撮影

22.12.30.撮影
(碑文は上記)

22.12.30.撮影
万葉の陶壁画
陶壁画(縦:3.6m×横:5.4m)は、"留守を守る妻”と遣新羅使で長旅を続ける"夫”を表しているのでしょう。
財満 進(ざいま すすむ:1952-    )
陶芸家。安芸津町出身。嵯峨美術大学生活デザイン専攻陶芸卒業。
1981(昭和56)年豊田郡安芸津町風早に陶房を設け独立。1990(平成2)年万葉の陶壁画制作。現代工芸美術家協会本会員

22.12.30.撮影
萬葉歌碑  と  万葉の陶壁画

22.12.30.撮影
万葉の陶壁画

22.12.30.撮影

22.12.30.撮影
留守を守る妻 夫(副使の大伴三中ともいわれているようです)

22.12.30.撮影
作者のサインを見ました (陶板目地から白華していました)



「文学碑など」編


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