(東広島市)市営住宅薬師丸ハイツA

  東広島市安芸津町風早に建設されている「(東広島市)市営住宅薬師丸ハイツA」です。
*1999(平成11)年10月20日竣工当時は豊田郡安芸津町で“(仮称)安芸津町営住宅薬師丸団地建設工事”でした。
※2005(平成17)年2月7日豊田郡安芸津町は東広島市に編入され、東広島市安芸津町となっています。
市営住宅薬師丸ハイツA
延べ面積:2,312u。構造:RC造4+0/0。
竣工:1999(平成11)年10月。
建設工事中はまだ豊田郡安芸津町時代でした。
平屋の木造の町営住宅群を解体することも工事範囲でした。その住人が優先的に入居する鉄筋コンクリート造の住宅工事でした。
※屋外階段が、竣工後西面に造られていました。

竣工記念のテレホンカードです
平成11年6・29豪雨災害(広島市・呉市)広島県の資料によると
『6月29日午前0時ころから降り始めた雨は、午前中は県北部を中心として局所的に強まり時間雨量20mm以上を記録したが、広島市を中心とした県南西部では、午前中は時間雨量10mm以下で推移した。午後になって前線の活動が活発になり、13時〜16時にかけて広島市佐伯区から広島市安佐北区一帯で強い降雨を観測した。また、15時〜17時にかけて大柿町(現江田島市大柿町)から東広島市の一帯では、呉市を中心として強い降雨を観測した。そして、降雨は広島市方面で16時ころ、呉市方面で17時ころ,東広島市方面で18時ころになり順次止んだ。
6月28日〜6月29日の連続雨量は大野IC199.5mm,戸山271mm,呉市184mmの大雨となった。特に,6月29日の時間雨量は,八幡川橋14時〜15時に81mmとなったのを始め,戸山で14時〜16時に63mm,呉市で15時50分〜16時50分に73mmと記録的な短時間降雨となった。
被害状況
被災箇所は、土石流等災害で139箇所。がけ崩れ災害で186箇所にもおよび、死者31名、行方不明者1名、家屋全壊154戸等、昭和63年県北西部豪雨災害を大きく上回る近年にない大規模な土砂災害となった。
特に,被害は都市近郊の新興住宅地に集中し,都市型の土砂災害と位置付けられる。』
この工事では、建物建設工事そのものは順調に進み竣工を迎えることができましたが。
・木造平屋の(古い)町営住宅を解体する工事で特に配慮が必要な人物がおられたことです。
この団地のまとめ役だったSさん老夫妻にいろいろと相談に乗って頂いたことで、無事解体工事を進めることができ、その後のRC造住宅工事も順調に進めることができました。
・外部足場の倒壊危機があったのです。
記憶がボロボロで、NET検索で上記の豪雨がヒットしましたので、この時ではと思いますが、
安芸津町付近の雨量はそうでもなかったのですが、上流(呉市)の豪雨で現場横を流れる高野川が増水し現場の外部足場足元まで迫ってくるようになってきていました。(現場にも土嚢袋の準備はしていましたが足りなくなってはと)消防が町内巡回中で土嚢の支給を受けました。
緊急事態を連絡した土工、大工さんたちが帰宅途中から現場に引き返してきてくれ、足場下に土嚢を積んでくれたことで、外部足場の倒壊を防ぐことが出来たということがありました。
*当時の報道で、安芸津町でも田んぼの状況を見に行った方、1名が亡くなったことを知りました。
1889(明治22)年4月1日
1943(昭和18)年1月1日
2005(平成17)年2月7日
町村制の施行で、賀茂郡早田原村(=風原村+大田村+小松原村)が発足。
賀茂郡三津町+早田原村+豊田郡木谷村=豊田郡安芸津町発足。
東広島市に編入。(東広島市安芸津町となる)
(当時は)豊田郡安芸津町の町営住宅の建設で、約一年ほどアパートの一室を借り単身赴任で同僚と住んだのは既に四半世紀弱も前になりました。
正月休暇で帰ってきた息子に、安芸津町の三浦仙三郎銅像が建立されている榊山八幡宮、万葉歌碑が建立されている祝詞山八幡神社へ連れて行ってもらったのです。
そのついでに四半世紀も前に施工に携わったここ安芸津町営住宅薬師丸団地も訪れたのです。
周りは当時とは違って住宅が建てこんでいました。
また、当時・町長であった山下龍男町長が平成の大合併で県指導(竹原市との合併)で悩まれている話をお聞きしたことがありました(ので)。
(わたしは)県が進める竹原市との合併ではなく、内陸都市であり広島大学がやってきて発展している東広島市との合併が、海に接する安芸津町が合併することで東広島市にとっては海に接する重要な地域として安芸津町地区の発展につながって行くのではないのかという自説を生意気にも町長室でお話ししたことを思い出します。
工事関連の資料は、退社後も自宅に保存していましたが、退社後10年ほどしてほとんど全部処分しましたので、工事関連の細かな数値的なものはわからないままこの頁を編集しました。
23.04.20.裕・記編集

22.12.30.撮影
広島県東広島市安芸津町風早501-8

22.12.30.撮影

22.12.30.撮影
四半世紀もたち、随分色あせてきた玄関扉の色です(が)
設計担当者が拘った“安芸津のジャガイモの花の色”「紫色」

22.12.30.撮影
*西面に(竣工当初なかった)屋外階段が増設されていました

22.12.30.撮影
南側(画像右手)が高野川です。〔みるといまもそのようですが〕普段の水量はちょろちょろでした

22.12.30.撮影
東面

22.12.30.撮影
職長会が寄贈した時計
〔動いていなかった〕

22.12.30.撮影
職長の面々、ボケてきたようでその工種の施工会社を思い出せないのも多くあります



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