(安芸津町木谷地区)宮沖新開地の変遷

  東広島市安芸津町木谷の重松神社前に木谷自治協議会によって設置されている「宮沖新開地の変遷」説明板を取り上げました。
〔ふるさと史跡〕宮沖新開の変遷  令和5(2023)年3月設置 木谷自治協議会・東広島市立木谷小学校
江戸時代の終わり近くまで、重松神社の前は海でした。
文政4(1821)年に三町(≒3ha)余りの新開地ができ、約半分が田畑として利用されました。しかい、文政11(1828)年台風により東の堤防が決壊し、新開地の三分の一を海水が浸しました。
そこで有志の庄屋・大成吉郎右衛門(おおなりきちろうえもん)、新M主・大黒屋和平が再興のため尽力し、文政13(1830)年に一町余りを塩田に転換しました。
しかし、明治時代の終わり、生産性の劣る塩田を整理する政策〔第一次塩業整備(製塩地整理)明治43年〜明治44年〕により廃業に至ったと思われます。
明治44(1911)年和田煉瓦工場(後の中国煉瓦)の輪環窯(りんかんがま)の操業に伴い、塩田跡地は煉瓦の乾燥場として利用されました。近くに原料となる良質な原土の採掘場があり、燃料や製品の運搬にも便利な港に面しており、昭和30年代前半から昭和40年代前半に最盛期を迎えましたが、煉瓦の需要減少や煙害問題もあり昭和58(1983)年に廃業しました。
昭和61(1986)年工場跡地の大部分が住宅団地として開発され、現在の「宮之浦団地」となりました。
ここは、浜辺→新開地→塩田→煉瓦工場→住宅団地と木谷地区で最も土地利用が変わった場所といえます。
上記説明板を読んだとき、
「煉瓦の原料になる良質な原土があり」と云うところで目が留まったのです。
わたしは、安芸津町が、まだ豊田郡安芸津町・町政時代に(木谷地区は町の東側ですがその反対側西側の)風早地区で町営住宅の現場を担当するのに1年ほどアパートの一室を借り住んだことがあるのです。
その時、
木谷地区赤崎の赤土を利用したジャガイモが有名なこと、風早地区で細々とまだ“蛸壺”を造っていることを見知ったのです。
安芸津歴史民俗資料館に“安芸津の煉瓦の歴史”
ついての資料がありましたので参照しますと
『安芸津は、広島県内でも早い段階からレンガを製造していた地域です。
明治20年代に鹿児島の豊島喜右衛門という人物が、三津の西山に登窯を建設し、レンガ製造を始めました。
安芸津にはレンガ製造に適した以下の条件が整っており、以後レンガ製造が盛んに行われ、大小16ヶ所ものレンガ工場が建設されました。
@レンガに適した良質な土(粒が細かく酸化鉄を多く含む粘土)が山で簡単に手に入る。
A材料の土が手に入る山が海に近く、海を通じて遠距離への販売が行いやすく、さらに燃 料の石炭も仕入れやすい。
B呉の軍用施設の建設・山陽鉄道や呉線の建設・その他工場の建設等により、レンガの需要が高まっていた。
C温暖な気候でレンガの乾燥を行いやすい。
しかし、当時導入されていた登窯には課題がありました。
登窯ではレンガを入れて火を焚いて焼きあげると、一度火を消し、温度が下がってから取り出す必要がありました。そのため、火を点けて消し…を繰り返すことになり、まだまだ効率が悪かったのです。
それを解決したのが、ドイツで発案され、広島では安芸津で初めて導入されたホフマン式輪環(りんかん)窯でした。
明治39(1906)年に、木谷村に県内で初めてホフマン式輪環窯が導 入され、続いて三津にも2ヶ所設置されました。ホフマン式輪環窯は窯がリング状に作られ、火を消すことなくレンガの乾燥・焼 成・冷 却を連続して行うことができるものです。
結果、安芸津ではレンガの大量生産が可能になり、大正9(1920)年には19ヶ所のレンガ場で年間1,158万個のレンガを製造していました。
盛んにつくられていたレンガも、大正12(1923)年の関東大震災で多くのレンガ建築が倒壊したことにより、信用が失墜してしまいます。
さらにセメント産業が盛んになったことで、一気に需要が低迷することとなりました。
加えて公害問題などもあり、安芸津では昭和58(1983)年に最後の窯が廃業となり、レンガ製造の幕が閉じられました。
その後、工場は取り壊され、跡地は住宅や店舗として利用されています。』
1889(明治22)年4月1日
1943(昭和18)年1月1日
2005(平成17)年2月7日
町村制の施行で、豊田郡小谷村(単独村制)。
賀茂郡三津町+早田原村+豊田郡木谷村=豊田郡安芸津町発足。
東広島市に編入。(東広島市安芸津町となる)
まだコロナ禍の2023年黄金週間も終わり、人出もひと段落しただろうと、息子夫婦に安芸津町まで連れてきてもらったのです。
ここ重松神社に池田勇人書の慰霊碑が建立されているとグーグルマップにあるが知っていて撮影したかと云われたので、行った事がないということで連れてきてもらったのです。
重松神社に来た時、この「宮沖新開地の変遷」説明板に煉瓦工場についての記述がありましたので、頁を編集してみるかと思ったのです。
24.04.28.裕・編集

23.05.14.撮影
東広島市安芸津町木谷414 重松神社参道前右手に説明板が設置されています

23.05.14.撮影
「宮沖新開の変遷」説明板(説明文上記)

23.05.14.撮影
「煉瓦工場」の後側に丘があります〔下グーグルマップ西側にある緑色丘と比べてみてください
現在をグーグルマップを使用しています



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