(小屋浦)報恩・碑

 
  安芸郡坂町小屋浦の小屋浦公園に建立されている「(小屋浦)報恩・碑」です。
※明治44(1911)年3月建立された報恩・碑です。
*報恩・碑の隣に水害碑(1910年2月建立)が建っています。(共に2004年に移築されたそうです)
*報恩・碑には死亡者44名と刻まれていますが、先に建碑された水害碑には46名のお名前が刻まれています。
報恩 (ほうおん)〔恩返しの意味〕       小屋浦講連合会 平成18(2004)年11月6日現在地移転 
ときは明治40(1907)年の夏7月連日の悪天候がついに15日のあけがた今までかってなかった大雨のため谷の水はあふれ土砂がk荒れくるうように流れた。このため一瞬にして家屋の43戸はつぶれ命を失った人44人小屋浦地区の悲惨な状況は、言いあらわすことができないさまで手をこまねいてなげくのみであった。我々の願いはお上の恵みにより救いのもとでを得て広く援助は一万余の巨額の金と衣類や食糧など計算出できない。これによって生きる目標を得た。これはもとより、よく治まった世のおかげであるが、これは村長菅田茂四郎さんの被害の処置についての村民を愛する熱烈なる活動により五年経過した今復旧のきざしに至った。ここに徳を讃え石に記し碑を建てる。
芸南白堂は現在のペンネームのようなもの
正面: 報恩   (碑文は下記)
裏面: (下記)
1889(明治22)年4月1日町村制の施行で、安芸郡坂村発足。
  
1907(明治40)年7月15日(ここで取り上げた)豪雨。
1950(昭和25)年8月1日町制施行で安芸郡坂町になりました。
  
2018(平成30)年7月6日西日本豪雨で小屋浦地区も大きな被害がでました。
2018年西日本豪雨で、JR呉線沿いにあった小屋浦原爆慰霊碑にも被害が及び、ここ小屋浦公園に移築されたことを新聞報道で知りましたので、2020年(コロナ禍の年でしたので、息子運転の車で訪ねたのです。
この公園に水害碑が建立されていることを資料で知っていましたが、ここで取り上げた報恩・碑のことは知らなかったのです(が)
)、撮影しましたのでこの頁を編集しました。
   21.0330.裕・記編集

20.07.24.撮影
広島県安芸郡坂町小屋浦4-25  (整備中の)小屋浦公園

20.07.24.撮影














































































 



























 






















































 


























 



























20.07.24.撮影





































(正面:碑文) (碑裏面)

20.07.24.撮影

20.07.24.撮影
 (碑正面) (碑裏面)

20.07.24.撮影
報恩・碑       水害碑



「水関連」編



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 -移設後-坂町小屋浦原爆慰霊碑
 (明治40年豪雨)水害碑
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