(坂村)水害碑

 
  広島県安芸郡坂町坂東の八幡山八幡神社門前根際に建立されている「(明治40年坂村)水害碑」です。
※1907(明治40)年7月発生した豪雨で、坂村で46人の方々が亡くなり、123戸が被害に遭いました。
八幡山八幡神社は、通称・坂八幡神社と呼ばれています。
正面: 水害碑
  碑文(下段に掲載しています)
裏面: 明治四十三年建之
死亡者
(死亡された方々のお名前)
刻まれた碑文が薄くなっていますので、広島大学がNETで公開している「広島県内における水害碑の碑文資料」を参照しましたが、
途中で、2020年7月小屋浦公園で撮影した明治43年2月建立の水害碑と同じ碑文ということがわかりました。
明治40(1907)年7月に安芸郡坂村(現在・安芸郡坂町)で起きた大水害を刻んでいます。
救済や復興・防災工事に尽力した菅田茂四郎村長の功績を水害の事実と共に後世に伝えようと村人の発意で建立。雨が何日も続く中、一度に大量の雨が降って総頭川・天地川が突如氾濫し家屋・人畜を押し流し両川沿いの住人が困窮したという。
・八幡山八幡神社(相頭川近く)に建立されていますが、
・小屋浦公園(天地川沿い)にも建立されています。
  裕編集の関連頁:(小屋浦公園建立)水害碑
奧海田村の水害碑を2008年3月頁を編集した時に何かの資料で、安芸区矢野にそして安芸郡坂町にも水害碑が建立されていることを知りましたが、2020年になり、同じ時の水害碑が建立されていたのだと知ったのですが、ここ八幡山八幡神社にも建立sれ停ることは2024年になり知ったので、息子に連れてきてもらい撮影しました。
安芸郡坂町に関する頁は、原爆関連頁を編集し、小屋浦公園に移設された原爆関連慰霊碑そして水害碑関連も頁を編集したのです。
   25.0110.裕・記編集

24.12.21.撮影
広島県安芸郡坂町坂東2-8-1 八幡山八幡神社門根際

24.12.21.撮影

24.12.21.撮影
碑害水

































萬千



















































































































使








































































































































































































































































































































退



谿





谿





































西
















24.12.21.撮影

24.12.21.撮影

24.12.21.撮影
(碑裏面) 之建年三十四治明〔=1910年〕  (下段に死者氏名が刻まれています)

24.12.21.撮影
死亡された方々のお名前が刻まれています



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