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広島県安芸郡坂町坂東に鎮座している「八幡山八幡神社」です。
※通称は、坂八幡神社と呼ばれています。
※1260(文応元)年創建。 |
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八幡山八幡神社 社標 (八幡山八幡神社社務所設置) |
祭神: |
天照大神 大国主命 神武天皇 応神天皇 神功皇后 |
創建: |
1260(文応元)年甲州甲斐(山梨県)の次席国府・縫部(ぬいのべ)権守が部下を率いて出国、途中鎌倉の鶴岡八幡宮で御分霊をいただき、海路はるばる坂の地に居を定めました。当時の坂村は三ヶ浦・戸数二十軒程であったと伝えられています。 |
鎮座地: |
創建当初は新張条(しんばりじょう)地番七二六(現・宮司の畑)にありましたが、300年後の1560(永禄3)年頃縫部神主の所有地の八幡山(やはたやま)の現在地に鎮座されました。 |
造営歴: |
1260(文応元)年 神社創建
1560(永禄3)年頃 現在地整地・神殿建立
1672(寛文12)年 社殿再建
1703(元禄16)年 木造鳥居
1720(享保5)年 本殿再建
1751(宝暦元)年 新宮社創建
1791(寛政3)年 拝殿再建
1826(文政9)年 石造唐獅子
1880(明治13)年 拝殿幣殿再建
1926(大正末)年 石段敷設
1931(昭和6)年 石造鳥居
1940(昭和15)年 本殿・社務所再建
1966(昭和41)年 本殿屋根銅板葺替
1967(昭和42)年 玉垣建立
1989(平成元)年 拝殿など大修復工事 |
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祭神
神社 |
応神天皇(品陀和気命)・神功皇后
天照大御神・神武天皇 |
祭神
新宮社 |
大国主命(大穴牟遅命)・少彦名命 |
八幡山八幡神社(通称・坂八幡神社)は、文応元(1260)年に神主・縫部権守が甲州甲斐国から移り住み同時に祭神・応神天皇を新張条地番726に鎮座し、祠を設けたのが始まりです。古来より、五穀豊穣・家内安全・武運長久の守り神として祈り、崇められてきた氏神様です。また、この当時坂村の戸数はおよそ20軒であったと伝えられています。
永禄3(1560)年ころ現在地・八幡山へ遷座され神殿が再建され、その後、承応元(1652)年に社殿が再建され、平成元(1989)年に拝殿等大修復工事が行われるなど、時代の変遷とともに幾度も造営を繰り返し現在に至っています。 |
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なお、明治初期まで厳島神社の修理造営を務めた亀居山放光院・大巌寺の古文書によると、永禄4(1561)年当山から厳島神社大鳥居用材として楠一本が帰路出されました。その五代目大鳥居は、毛利元就(1497-1571)・隆元(1523-1963)父子の献上であると記録されていjます。
また、当神社で行われる秋祭りは、坂町きってのお祭りとあって大変賑わいます
天正8(150)年ころ連年疫病が流行し、神主が社に祈願したところ、害虫は退散し、百穀の豊熟が叶ったのが起源だと云われています。獲得から寄進物(曳船・頂載・屋台・獅子舞等)が出揃い。祭りを盛大に盛り上げます。
創建当初から神社内陣に安置さ有れている随身像一対(鎌倉時代作と考えられている)は、坂町の文化遺産として1995年6月19日指定登録されています。 |
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裕編集関連頁:厳島神社大鳥居(資料編) |
八幡山八幡神社設置の社標を基に坂町教育委員会の説明文になったようでしたので、重複する部分があるので、この頁では社標に記述がある神徳、厳島神社大鳥居用材のクスノキがここ八幡山から切り出されたことは省きました。 |
(坂村)水害碑の撮影が主目的でしたが、ここで取り上げた(通称)坂八幡神社は是非にも参拝し、撮影して頁を編集しようと思っていたのです。
安芸郡坂町に関する頁は、
原爆関連頁を編集し、小屋浦公園に移設された原爆関連慰霊碑そして水害碑関連も頁を編集したのですが、坂町の神社仏閣の頁は編集していなかったからでもありました。 |
25.01.10..裕・編集 |
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24.12.21.撮影 |
広島県安芸郡坂町坂東2-8-1 |
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24.12.21.撮影 |
社殿 |
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24.12.21.撮影 |
拝殿 祝詞殿 |
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24.12.21.撮影 |
神社扁額:宮幡八 伯爵 二荒芳德 敬書 |
(ふたら よしのり)
二荒芳德:
(1886-1867) |
愛媛県出身〔伊予宇和島藩9代藩主伊達宗徳(華族令で伯爵、のち侯爵)の九男・伊達九郎〕。東京帝大法科大学政治学科卒業。
1909(明治42年)伯爵。1914(大正3)年内務省入省、静岡県理事官、宮内省参事官、東宮御所御用掛などを経て、1923(大正14)年勅選貴院議員。一方、1922(大正11)年少年団日本連盟初代理事長、1941(昭和16)年大日本少年団連盟に統合され副団長。
戦後厚生省顧問、飯野海運監査役などを務めた。、1949(昭和24)年ボーイスカウト日本連盟として再建、顧問、1955(昭和30)年同総コミッショナーも務めた。
著書に「非教者の教育論」「わが魂をかへりみて」など。 |
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24.12.21.撮影 |
本殿 幣殿 拝殿 |
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24.12.21.撮影 |

24.12.21.撮影 |
本殿:三間社流造り、銅板葺き、(間口三間、奥行三間)、昭和15(1940)年再建 |
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奉献の狛犬 |
石段を上った処で目に入ったのが、このlpマ犬でした。 |
台座の“文政九丙戌”が墨入れされてはっきりわかり古い狛犬だなと撮影したのです。
神社・社標を見ていると「唐獅子」とありましたので狛犬ならぬ唐獅子なんだと思ったのです。 |
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24.12.21.撮影 |

24.12.21.撮影 |
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24.12.21.撮影 |

24.12.21.撮影 |
台座:(奉)獻 文政九丙戌(=1826年) 狛犬:阿(吽)形 |
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