渡辺直己歌碑

  呉市宮原の“歴史の見える丘”に建立されている「渡辺直己歌碑」です。







































































































































































































































































*虧(か)けたる、対(むか)ひ、戦(いくさ)、竟(つい)に
渡辺直己(わたなべ なおき:1908-1939)
  「照準つけしままの姿勢に息絶えし少年もありき敵陣の中に」、「頑強なる抵抗をせし敵陣に泥にまみれしリーダーがありぬ」幻の歌集と云われた「渡辺直己歌集」<昭和15(1940)刊行の中の短歌です。
渡辺直己は、広島県呉市出身。呉一中から広島高等師範学校卒。呉市立高等女学校に奉職中、日中戦争に応召(第五師団の歩兵第十一連隊)、天津〜済南〜漢口と転戦、発熱で入院の後、天津警備に帰還、洪水によるカーバイト爆発で爆死しました。
「渡辺直己歌集」は友人の手で編まれた、その遺歌集です。
第二次大戦中、戦線に立った将兵の中で、短歌を記録にとどめた多くの作者が居たことは、明らかになっていますが、敵兵へのあからさまな愛情や、戦争の惨禍の実相や、戦争そのものへの批判や反省が盛り込まれた1冊の歌集が、きびしい検閲をかいくぐって刊行された事実は意味深いものと云われています。
歌碑に刻まれた文字が(わたしは)読めませんでしたが、台座にはめ込まれた碑文で、読めるなと思ったら漢字が読めなかったのです。しかしよく見るとふりがながふってありました。上記*を付けたもので、やっと読めました。
渡辺直己の事も(わたしは知らなかったので)この説明板で知りました。
11.11.17裕・記編集

11.08.16.撮影
広島県呉市宮原5 歴史の見える丘  

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影



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