(呉市)宮原地区風水害犠牲者慰霊碑

  呉市宮原の“歴史の見える丘”横に建立されている「宮原地区風水害犠牲者慰霊碑」です。
宮原地区風水害犠牲者   慰霊碑  呉市長小笠原臣也(在職1993-2005)書
昭和二十(1945)年九月十七日発生枕崎台風  犠牲者 参百九名(309名)
昭和四十二(1967)年七月九日発生集中豪雨  犠牲者 拾四名(14名)
        平成七(1995)年九月吉日  宮原地区自治会連合会建之
1945(昭和20)年9月19日の枕崎台風の時日降水量221.8mmと現在(2011年時点)呉市での観測史上最大の雨量だったそうです。
広島県の資料では『被害のひどかった呉地方では、この台風によって16日9時頃より降り始め、16時ごろ本格的な降り方となり風が相当強くなってきた。17日早暁、雨は依然として降り続いていたが、風は全然なくなった。10時ごろ、また風が出はじめ、午後になり雨と風とともに強さを増し、18時より22時に至る4時間の雨量は113.3mmに達した。
呉では、雨が風とともに強さを増した17日午後から各河川渓流は著しく増水し、18時から22時までの113.3mmの降雨の中、大小全ての渓流は、氾濫し山腹の崩壊が相続き、二河川の堤防決壊を初めとして各谷間より土石流が急斜面を押し流れ、あっというまに1,162戸の家屋を流失、792戸を半壊、そして死者1,154名にものぼる大惨事となった。』とあります。
1967(昭和42)年7月9日梅雨前線日降水量212.9mmで、呉市では観測史上2番目の日降水量だったそうです。
「歴史の見える丘」の南端に建立されているのがこの「宮原地区風水害犠牲者・慰霊碑」です。
わが町の「畑賀村水害碑」をみて以来、水害関連の碑をみると撮影してきていますので、ここでも撮影しました。碑文には枕崎台風時の被害(呉宮原地区だけで309名もの犠牲者を)出した事を知りました。
この枕崎台風は、1945(昭和20)年8月6日原爆の惨禍に打ちひしがれていた広島市に多大の被害を与えた事を知っていたのですが、宮島で、大野町でも、水害関連碑が建立されていますので、ここ呉市でも大きな被害(死者1,154名にものぼる)を出した事を知りました。
11.11.21裕・記編集

11.08.16.撮影
広島県呉市宮原5 歴史の見える丘  

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影



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