旧呉海軍工廠礎石記念塔

  呉市宮原の“歴史の見える丘”に建立されている「旧呉海軍工廠礎石記念塔」です。
この記念塔は 旧呉海軍工廠の面影をしのぶよすがとして残存した工廠礎石を集め此所「歴史の見える丘」の一角に建立したものです
煉瓦は旧呉鎮守府開庁当時の庁舎建材 縁石は堺川にかかる二重橋にしようされていた御影石構造の踏石です
頭部にあるカモメのブロンズ像は日本彫塑会会員・般若純一郎氏の作になるものです

                             昭和57(1982)年3月  呉市
1889 (明治22)年 呉鎮守府設置と同時に「造船部」が設置されました。
当初造船は神戸にあった小野浜造船所でしたが1890(明治23)年呉鎮守府管轄になり、呉の設備を拡充、1095(明治28)年小野浜造船所は閉鎖されました。
1903 (明治36)年日本海軍の組織改編で呉海軍工廠が誕生。その後は東洋一と呼ばれるほどにまで設備を充実させた。戦艦「大和」を建造するなど多くの艦艇建造を手がけ、日本海軍艦艇建造の中心地となっていました。1945(昭和20)年10月15日呉海軍工廠(敗戦で)廃止。
「歴史の見える丘」の北端に建立されている碑がこの「旧呉海軍工廠礎石記念塔」です。
1982年建立ということは、1945年(敗戦時)からは37年ほど過ぎてはいても海軍工廠礎石が残されていたのかと思いました。
11.11.16裕・記編集

11.08.16.撮影
広島県呉市宮原5 歴史の見える丘  

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
般若純一郎作「カモメ像」

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
第四工場  明治廿八(1895)年建之 起工 明治二十二(1889)年四月

11.08.16.撮影
起工 明治二十七(1894)年六月 明治三十五(1902)年起工



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