(倉橋歴史民俗資料館展示)頼家の人々の筆跡

  呉市倉橋町440の倉橋歴史民俗資料館に展示されている「頼家の人々の掛け軸など」です。
倉橋歴史民俗資料館展示説明文に
(倉橋の)瀬越家の資料には、書の手本を頼聿庵(山陽の長子:1801-1856)に依頼したものや、聿庵の書簡(手紙)が残されています。頼春水(山陽の父:1746-1816)や頼山陽(1780-1832)の書なども聿庵をとおして、この倉橋島に伝えられたものと思われます。』とありました。
江戸時代倉橋島が栄えた事がわかる資料となっているように(わたしは)思いました。他に頼春風(春水の弟:1753-1825)、頼杏坪(春水の弟:1756-1834)、などの書も、この資料館には展示がありました。
広島ぶらり散歩「頼山陽関連」編を編集しているわたしにはとても興味がある展示でした。
その頁で取り上げている人たちの筆使いがわかるのではと、頼山陽、頼春水、頼聿庵などの筆跡の画像を掲載しました。
頼山陽の書に込められた力強さやのびやかな筆跡は山陽の生きざまかななどと思いながらみました。(小学生時代習字を習っただけのわたしには真似しても到底書けはしないし、読めもしませんが)
11.11.27裕・記編集

11.08.16.撮影
頼山陽「小杜停車図」(一部分)    掛軸の、襄(のぼる)は山陽の名です

11.08.16.撮影
頼春水先生三十六歌仙直筆(一部分) 
藤原兼輔(かねすけ): 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな
藤原敦忠(あつただ): あひみてののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり

11.08.16.撮影
頼杏坪「長門島の月」

11.08.16.撮影
頼春風賛「寿老人」
頼聿庵先生草書横巻



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