(倉橋歴史民俗資料館展示)ナウマンゾウ、ムカシジカの化石

  呉市倉橋町440の倉橋歴史民俗資料館に展示されている「ナウマンゾウ、ムカシジカの化石」です。
「広島市似島臨海少年自然の家・資料室」でナウマン象やムカシジカの化石を2010年わたしははじめてみたので興味がわきじっくりとみたのです。
ここ「倉橋歴史民俗資料館」を今(2011年)回見学した時ナウマンゾウ、ニホンムカシジカの化石の展示がありました。
同じ瀬戸内海ですので、漁の網にかかったものが上げられたのでしょう。(ナウマン象の化石には海にあったと考えられる貝殻が付いたあとがありましたので)此処では、似島でみなかったムカシジカの顎骨、ナウマン象の大腿骨などを取り上げました。
昔、瀬戸内海は草原だったのです。今から200万年〜1万年前は、洪新世(こうしんせい)とよばれ氷河期でした。寒冷な氷河期には、海面が百数十メートルも下がることがありました。そのため日本列島は大陸と陸続きになり、ナウマン象、ムカシジカ、野牛(バイソン)など現在日本では絶滅した大型の獣が、大陸から渡ってきました。瀬戸内海は、浅い沼地か平原となったため、現在の島々は当時平原に聳えていた山だったのです。
今からおよそ一万年前、氷河時代が終わり、氷が融けて海面が上昇し、日本列島は大陸から切り離され、瀬戸内海は現在のような状態になりました。今でも瀬戸内海のあちこちの海底からときおりナウマン象やムカシジカの化石が漁師の網にかかって上がってくるのはそのためです。
ナウマン象: 〔名称は地質学者・ナウマン(独・1854-1927:東大地質学教室初代教授)にちなむ〕
更新世の後半、日本や中国大陸北部などに分布したゾウ。
体高約3m。長い牙は内側に向かって湾曲する。臼歯の表面は洗濯板状の畝(うね)を刻む。北海道から九州まで、各地で化石が発見される。
ムカシジカ:
(Nipponicervus)
現生のニホンジカの角と比べると、第1枝が角座からたいへん高い位置で別れるという特徴を持っています。
また成長したニホンジカでは、角の先は四つに別れるのが普通ですが、ムカシジカ亜属の角の先は三つに別れるそうです。
「倉橋歴史民俗資料館」を女房と見学しました。女房といえども興味がそそられるものが違ってはいるのです、(わたしには)展示スペースはわずかなものでしたが、ここで取り上げた、ナウマンゾウ、ニホンムカシジカの化石はじっくりみたい展示物でしたので、じっくりみてこの頁を編集しました。
11.11.28裕・記編集

11.08.16.撮影
ニホンムカシジカの右下顎骨、ニホンムカシジカの角

11.08.16.撮影
ナウマン象の大腿骨

11.08.16.撮影
ナウマン象の胸椎 ナウマン象の臼歯



「古墳遺跡遺構など」編


「資料館など」編



広島ぶらり散歩へ
倉橋歴史民俗資料館
  頼家の人々の筆跡
  ナウマンゾウ、ムカシジカの化石


「呉市」編


inserted by FC2 system