長門の造船歴史館

  呉市倉橋町に建てられている「長門の造船歴史館」です。
※1992年開館当時は安芸郡倉橋町の歴史館でした。
呉市産業部観光振興課のくれナビによるとここ長門の造船歴史館を
『桂浜を望む海岸に、1992(平成4)年に開館した「長門の造船歴史館」には、古代から現代までの木造船模型をはじめ、造船と海運業に関する資料などが数多く展示されています。中でも、館の中央には、1989(平成元)年に、1200年以上前の姿に復元された遣唐使船(長さ25m、幅7m、帆柱までの高さ17m)が展示され、船内を見学することができます。 』と紹介しています。
平成元(1989)年7月8日から10月29日まで広島市西区扇2丁目をメイン会場に開催された「'89海と島の博覧会・ひろしま」に広島市と広島県が共同で出展した遣唐使船です。
(復元の)遣唐使船を建造したのは倉橋町遣唐使船復元共同工事企業体(下記)です。
設計監督:神戸商船大学教授 松木哲。倉橋共同企業体棟梁:向井道年。向井造船社:向井秀雄。
  池西造船所:池西清治。植崎造船所:植崎博司。中田造船所:中田芳樹。外、船匠7名など
倉橋島で、木造船を建造していた事は芸藩通志にも記述があるそうで間違いないところでしょうが、遣唐使船や秀吉の軍船を建造したと伝えられているそうですが、遣唐使船を建造したとの記述は無いとも云われています。そのようなことで、倉橋の造船技術の高さを示す意味で、遣唐使船の復元建造がなされたということではと(わたしは)思っているのですが。
安芸郡倉橋町は、2005(平成17)年3月20日(安芸郡音戸町・蒲刈町、豊田郡安浦町・豊浜町・豊町)とともに呉市に編入されています。
        -遣唐使船の構造-
遣唐使船は2本のマストに網代帆竹材の帆を張った、中国のジャンク型の帆船でした。長さ:20m〜25m、幅:7m〜8m、で100トン弱のものが標準だったようです。
材料は、(歴史的な流れからみて)主に楠、次に杉が多く、部分的には檜や松などが使われていたと思われます。
甲板上の宮造りの船室には、大使、副使をはじめ外交使節がおり、船内には水夫(かこ)たちや積載物が入っていたようです。
船内には隔壁で数区画に仕切られ、浸水を防ぐためにそれぞれが独立した構造になっていたので、通り抜けはできず、甲板に出てから他の区画へ写ったものと推定されます。船は、朱や緑青などでカラフルに彩られていました。
1989年に建造され、試験航海などをしたというものの、以後野ざらし状態で老朽化しているというニュース報道を見聞きしていました。そのような事があったからでしょう、観光資源として、復元・遣唐使船を中心として、ここ長門の造船歴史館が建設されたと聞きます。
復元遣唐使船の全体はわたしのデジカメでは撮影できませんでしたので、倉橋歴史民俗資料館入館時にもらったパンフレットに試験航行中の画像がありましたので、それを使用しました。
盆ではありましたが、海水浴客の人たちをそれなりにみましたが、海水浴場のはずれとは云え、見学者は、女房とわたしだけで、見学がおわろうとした時に、2人の子どもを連れた家族が入館しただけでした。
11.12.02裕・記編集

11.08.16.撮影
呉市倉橋町171-7

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
パンフレットの画像を使用しています 浜辺の方から船尾をみました

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
(甲板上の)宮造りの船室 船首



「資料館など」編



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長門の造船歴史館
  (展示の)船の模型など
(植崎博司作)遣唐使船1/10模型


「呉市」編


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