(長門の造船歴史館展示)船の模型

  呉市倉橋町の“長門の造船歴史館”に展示されている「船の模型」を取り上げました。
               倉橋島の造船
倉橋島は、瀬戸内海航路の要衝に位置し、古くから船舶の寄港地として発達して来ました。町の字・地名には唐船浜(とうせんはま)、船隠、船泊など船にちなんだ名前がみられます。
江戸時代に編纂された「芸藩通志」には『倉橋島に古くより船匠多くあり・・・昔の船造も、此地なるべし』とあり、遣唐使船や豊臣秀吉の軍船などもこの地で建造されたと伝えられています。江戸時代には中四国、九州一円、近畿、東海、北陸の広い地域から商用の大小船舶や各藩のお召船、関船などの注文が相次ぎ、本浦の浜辺一体が造船場となり、イロハの47文字を海ら納屋が建ち並び栄えました。
その後時代の移り変わりと共に、衰退、隆盛を何度か繰り返しました。
1868年明治維新後、西洋型船舶の需要が多くなるにつれ大型の日本型船の建造も減り、500石(約74トン)以上の日本型船の建造禁止が出され倉橋の造船業は危機を迎えました。
大正末期から昭和初期には、軍事物資などの流通の増加により、機帆船の需要が増え、再び隆盛を迎えました。その後、木造船から鋼船、FRP船にかわり現在では木造船所は、検査修理が主となっています。
平成元(1989)年7月8日から10月29日まで広島市西区扇2丁目をメイン会場に開催された「'89海と島の博覧会・ひろしま」に広島市と広島県が共同で出展した遣唐使船です。
遣唐使船を建造した倉橋町遣唐使船復元共同工事企業体が建造したものです。
倉橋島で、木造船を建造していた事は間違いないところで、その技術の高さを示す意味で、遣唐使船の復元建造がなされましたが、(古文書などに)遣唐使船が倉橋島で建造された記録がないとも云われています。
復元遣唐使船をみなくてはと見学したわたしでしたが、造船歴史館と銘打っていることをおろそかにしていました。
ここで紹介する遣唐使船模型、大型・小型鰯舟模型、石船模型は展示のごく一部ですので、倉橋島にゆかりの木造船の模型をみて、造船の歴史を知るには恰好の資料館でもあるようにわたしは思いました。まだまだ見学者が多くてもいいのではと思いましたので、この頁を編集しました。
11.12.03裕・記編集

11.08.16.撮影
古代復元遣唐使船模型 縮尺10分の1    贈・遣唐使船復元工事共同企業体

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
  大型鰯舟(いわしふね)
    模型 縮尺1/10

鰯網漁に使用された親舟です。鰯網を引き上げる時などに中心となる船です。
昭和時代

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
  小型鰯舟(いわしふね)
    模型 縮尺1/10

鰯網漁に使用された小舟です。船底は三枚の板から出来横波に強く安定しています。また、船首が尖り、二丁櫓で漕ぐため速く進むことが出来る船です。
昭和時代

11.08.16.撮影
漁船模型(縮尺1/10)   昭和60年代
この船は、実際に底引き漁を行っている船の模型です。魚種は主に鯛・チヌ(黒鯛)です。

11.08.16.撮影
石船模型   昭和時代
倉橋の石材を運搬していた船です。船底に空気層を持ち、石の重さに耐えられるような構造になっています。

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
船造りの道具の一部 船くぎ



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