万葉集遺跡長門島松原(倉橋町桂浜)

  呉市倉橋町桂浜にある広島県史跡である「万葉集遺跡長門島松原」です。
広島県史跡 万葉集遺跡長門島松原  昭和19(1944)年5月30日指定  
万葉集巻十五には、天平8(736)年遣新羅使(けんしらぎし)が安芸国長門島に停泊したときの歌や舟出の歌が詠まれており、その中に松原のことがうたわれていますが、この松原が倉橋島桂浜にあたるものと考えられています。また本浦は船泊に適し、推古天皇の代(600年頃)から何回となく外国に使いする舩を造ったところと伝えられており、江戸時代に至るまで造船の盛んな土地として有名でした。
万葉集巻十五には、「船泊磯辺作歌」五首と「従長門浦舶出之夜仰観月光作歌」三首が記載されており、その船泊の地が現倉橋町桂浜であるとされて、昭和19(1944)年広島県史跡に指定されました。
指定面積は、約1ヘクタールで、昔ながらの美しい砂浜に約500本に上る松原が続く風景は『わが命を長門の島の小松原』、『幾代を経てか神(かむ)さびわたる』などと歌われた景勝の地です。
区域内には「万葉集長門島之碑」(歌碑)や、戦時中の食糧難に寄与したといわれる「もずくの碑」などがあります。
倉橋島の古名が長門島であったことは、尾立の八剣(やつるぎ)神社の文明12(1480)年の棟札に「長門島」と記されていたことや、長門崎、長門口の地名があることから分かったそうです。
桂浜ドック跡
桂浜の西側隣の天然の入江を改良した洋式ドック(船渠)は、享和年間(1801〜1804)に造られた日本最古のものだそうです。
明治期には蒸気船の普及や船舶の大型化に伴い、明治15(1882)年に現在のような形態に改造されたそうです。
倉橋歴史民俗資料館を見学した後、倉橋温泉館で昼食を摂った後、「日本の白砂青松100選」「日本の渚・百選」に選ばれているという桂浜を散策しました。
この松原に入ったところで広島県史跡を示す「万葉集遺跡長門島松原」碑をみました。訪れたのがお盆で海水浴シーズンとしては終わり頃で、海水浴客は少ないようでしたが子どもたちの楽しそうな声が聞こえていました。
11.12.11裕・記編集

11.08.16.撮影
広島県呉市倉橋町桂浜

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影
海水浴場になっています

11.08.16.撮影



「広島の公園」編



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  (明治天皇)遷幸記念碑
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