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呉市倉橋町本浦桂浜に建立されている「もずくの碑」です。
※この頁では「堀榮助頌徳碑」もこの頁の下段で取り上げています。 |
終戦後十五年目を迎えました。獨立日本の再建の足どりも、ようやく軌道に乗って来たようです。
顧みて昭和十二(1937)年はじまった戰爭の悪夢は我々の生活を苦しめ食糧難がひしひしと迫って来ました。この緩和の一翼を擔ってわが倉橋町を中心に遠く愛媛縣西部沿岸ならびに山口縣東部沿岸にわたり“もずく”採取に乗り出し、軍、官、民に榮養資源を補給、食膳にさゝげたことは町の誇らしい事業として認められました。
この在りし日を永く記念し、今なお無盡蔵にある海の資源“もずく”の聲價を傳へるため観光地桂ケ濱神社境内にもずくの碑を建立いたしました。これは、町民皆様の格段の御援助によるものと感謝しています。 昭和三十五(1960)年十二月八日建之 堀 榮助 |
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堀翁頌徳碑
文學博士 大伴 茂 書
堀榮助翁頌徳碑建設者
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東京・築地1名、前橋1名。京都2名。神戸1名。
大阪・酒店2店。
佃煮商団体長、砂糖卸、市会議長、洋服商、土地課長、弁護士、消防署長・課長。
絹笠町有志9名。長門会役員7名。 |
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(もずく)
水雲:
海蘊: |
モズク科の褐藻。静かな内湾のホンダワラ類に着生し、春から初夏にかけ繁茂。
茶色で柔らかく、糸状で、よく分枝して房のように見え、ぬるぬるしている。酢の物にして賞味。もぞく。もくず。もぞこ。季語:春。
「汐鳴のこひしさに買ふもずくかな」 阿波野青畝(1899-1992) |
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倉橋町桂浜を散策中みたのがこの「堀榮助頌徳碑」でした。(建立した人たちの名板はありましたが)碑文がなく何をなしたし人かがわからなかったのです。
その後、桂浜神社に行こうとした時にみたのがここで取り上げた「もずくの碑」でした。根際に碑文石が建っていましたので読むと堀榮助が、昭和35(1960)年建立した事がわかりました。碑文にある戦時中の食糧難に貢献したもずくの採取に努めた人物だった事がわかり、もずくの碑の前にみた堀榮助頌徳碑との繋がりがわかりました。 |
11.12.13裕・記編集 |