旧倉橋町マンホール蓋

  呉市倉橋町でみた安芸郡倉橋町時代のマンホール蓋を取り上げました。
旧安芸郡倉橋町(現・呉市)は、瀬戸内海に浮かぶび南部に位置し面積54.44kuで広島県最南端の町でした。
1889(明治22)年4月1日市町村制施行は安芸郡倉橋島村でした。
1952(昭和27)年6月1日倉橋島村が村名改称、町制施行で倉橋町になりました。
1961(昭和36)年12月4日(倉橋島北部)音戸町と本土(呉市)との間・音戸ノ瀬戸に
                                     音戸大橋が架かり倉橋島が陸続きになりました
。2005年3月20日他の町とともに呉市に編入されて消滅しました。
旧倉橋町 町の木:ネズ(ビャクダン)。町の花:ヤマザクラ。町の鳥:ウグイス
倉橋町に着き、清水山・白華寺に歩いて行く時にみたマンホール蓋でした。
(わずかな地区だけでしたが)みたのは、ここで取り上げた遣唐使船をデザインしたマンホール蓋だけでした。旧倉橋町の町章が入ったマンホール蓋はみなかったのです。また旧町の木、花、鳥を採用したデザインのマンホール蓋もみませんでしたたので、倉橋町が町おこし?に遣唐使船に力を入れていたのだろうと(わたしは)思いました。
12.03.14裕・記編集

11.08.16.撮影
広島県呉市倉橋町

11.08.16.撮影

11.08.16.撮影



「マンホール蓋」編



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「呉市」編


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