アレイからすこじま

  呉市昭和町に設置されている「アレイからすこじま」です。
※国土交通省の資料によると公園面積は3,377uある近隣公園だそうです。
※“旧呉鎮守府兵器部護岸および関連施設”が残っていることから2009年土木遺産に選奨されています。
アレイからすこじま           呉市
この公園は、「アレイからすこじま」と呼ばれています。
公園名の由来は、明治初期の呉浦にあった周囲30m〜40mの烏小島という島の名称と英語で小道という意味のアレイからきたものです。
烏小島は、その昔数本の老松がある岩島で、沖に舞うカモメたちの羽を休める絶好の場所でしたが1889(明治22)年海軍工廠の建設が始まり、大正のはじめに魚雷発射実験場として埋立てて陸続きとなり、やがて工業地帯へと変身していきました。
国内で唯一、潜水艦を間近で見ることができる公園で、昭和60年度(1986年)に現在のような姿に整備を行い、呉が旧海軍の本拠地だったことを偲ばせるエリアになっています。
なお、平成21年度(2009年)に「旧呉鎮守府兵器部護岸および関連施設」として、(選奨理由)整然と積まれた花崗岩の護岸、巧みに加工された石階段、クレーンなど、旧呉鎮守府兵器部の施設が保存され公園化されている事が評価され、土木学会選奨土木遺産に認定されました。
アレイからすこじま (旧海軍工廠本部前)
  戦前この辺りは、呉海軍工廠の心臓部でした。
呉らしさを伝える公園として1986(昭和61)年に設置されました。
公園の名称の「アレイ(Alley)」は英語で遊歩道を意味し、「からすこじま」は過って左前方にあった周囲30m〜40mの美しい烏小島に由来したものです。島は大正期に埋め立てられ、呉工廠の魚雷実験場(現・日新製鋼株式会社呉製鉄所)となりました。
海上自衛隊潜水艦教育訓練隊(旧・呉海軍工廠本部など)
1905 (明治38)年 煉瓦造の洋風2階建の呉工廠本部が建設されました。
庁舎は、1945(昭和20)年6月米軍による呉工廠に対する空襲で破壊されました。1960(昭和35)年以降この地域は海上自衛隊の潜水艦乗員の教育訓練施設として利用されています。
(株)ダイクレ呉第2工場(旧・呉海軍工廠砲熕部精密兵器工場)
1903 (明治36)年呉工廠造兵部第9工場として建設されました。美しい意匠の巨大な煉瓦建造物が戦災の痕を残している姿は、激動の呉の近代史を映し出しているかのようです。
現在、グレーチングのメッキ工場として利用されています。
*砲熕(ほうこう):大砲〈熕はおおづつの意〉
(株)淀川製鋼所呉工場(旧・海軍工廠廠砲熕部・水雷部)
1910 (明治43)年呉工廠の造兵部門の中心である造兵部が廃止され、大砲などの製造に関わる砲熕部と魚形水雷や機械水雷などを製造する水雷部が設立されました。
戦後、この一画は、民間会社の加工用鋼板製造工場となりました。
バブコック日立(株)呉工場呉第2工場(旧・海軍工廠廠砲熕部)
この地域はかっては呉工廠廠砲熕部の砲塔組立工場で、工場内には戦艦大和などの大砲の組立てと実験に使われたピット(縦長の穴)が11個(3個現存)もありました。残されたピットは、原子炉の圧力容器の水圧試験などに利用されています。
日新製鋼(株)呉製鉄所(旧・海軍工廠廠砲熕部)
1903 (明治36)年11月10日呉工廠設立時に、日本で唯一の艦艇の甲板や大砲の素材を製造できる製鋼部が誕生しました。呉工廠は日本一の工廠への道を歩むことになります。
戦後は、近刊の製鉄会社として活用されています。
ここ“アレイからすこじま”公園に正岡子規の句碑が建立されていると云う事で、訪ねました。
広島新四国八十八ヶ所霊場第46番萬願寺を巡拝して(呉市)宮原地区からここ昭和町地区の街をぶらり散歩しながら行きました。すでにデジカメの電池が残量僅かを示すマークが出ていましたので、「アレイからすこじま」の紹介画像としてはおおいに不足していますが、この頁を編集しました。
2021年コロナ禍の黄金週間に息子が第二音戸大橋を撮影に行こうと誘ってくれたので、その途中ここアレイからすこじまにも立寄ったのです。
今回は黄金週間の休暇中なのか潜水艦は6艘停泊しており、他の艦船も停泊していたので撮影しました。
21.06.02.更新  13.10.09.裕・記編集

13.08.27.撮影
広島県呉市昭和町  (画像左中央に位置する公園です)  

13.08.27.撮影
くれヒストリーコース(くれナビ)の案内の内のこの周辺案内図
アレイからすこじま(公園部分)
公園名称「アレイからすこじま」の由来は、明治初期の呉浦にあった周囲30m〜40mの烏小島という島の名称と英語で小道という意味のアレイからきたものだそうです。
※国土交通省の資料によると公園面積は3,377uある近隣公園だそうです。

21.05.06.撮影
呉市昭和町6-17

21.05.06.撮影
〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴

21.05.06.撮影
東屋と正岡子規句碑(裏側)

21.05.06.撮影
呉市設置:アレイからすこじま・説明板

21.05.06.撮影
土木學會選奨土木遺産:2009(平成21年) 旧呉鎮守府兵器部護岸および関連施設

21.05.06.撮影
大砲?

13.08.27.撮影
土木遺産の護岸 と 遊歩道 と 正岡子規句碑

13.08.27.撮影
海上自衛隊呉造修所工作所
アレイからすこじま(公園)根際の海上自衛隊呉造修所工作所の護岸に停泊する潜水艦をみました。
艦番号がないかとみましたが、(わたしには)見つけることが出来なかったので艦名はわかりませんでした。
2021年は、根際の停泊海域に停泊中の自衛隊艦のいくつかが、艦番号からわかりましたので別頁で編集しました。

13.08.27.撮影
海上自衛隊の潜水艦が停泊しています

13.08.27.撮影

21.05.06.撮影
2021年黄金週間は6艘の潜水艦が停泊していました

21.05.06.撮影

21.05.06.撮影
(艦名はわかりません)

21.05.06.撮影

21.05.06.撮影
 
呉貿倉庫運輸(株)倉庫(旧・海軍工廠電気部)
この地域の赤レンガの倉庫群は、明治30年代前半(1897〜1901)に呉海軍造兵廠水雷庫などとして建造されました。その後、電気部関係の工場として使用されていましたが、米軍の空襲の被害を受け、戦後、修理して民間会社の倉庫に転用されました。

13.08.27.撮影
呉市昭和町6-17  呉貿倉庫運輸(株)倉庫

13.08.27.撮影
「アレイからすこじま」公園といっても海岸とバス通りに挟まれた幅狭い公園です



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