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呉市三条の金比羅山公園に建立されている「正岡子規の句碑」です。 |
碑文 |
正岡子規(1867-1902)が呉港を訪れたのは日清戦争たけなわの1895(明治28)年3月9日28歳の時でした。
みずからも従軍の途上(広島)宇品にいた子規は、この日連合艦隊旗艦・松島に乗組んで従軍する(当時の新聞「日本」の古島一雄(1865-1952)記者をみおくるため、春雨にけむる川原石に来航一泊しました。
碑面はその時の感慨を詠んだ子規自筆の句で往時の呉軍港の景観とこの丘に建立つ子規の風姿がめのあたりに偲ばれます。
子規生誕百年を迎え、呉港を一望するここ有崎城址にこの碑を建て心あたたまる追憶のしるべとします。
昭和43(1968)年3月9日 呉みなと郷土會 呉観光協会 |
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1895(明治28)年初め、日清戦争への従軍が内定。その時、広島大本営に履歴書などを提出するため同(明治28)年3月に広島市に滞在し、その合間に1泊2日で呉を訪れました。子規が呉で投宿したのは一度だけで、その時詠んだのは
「のどかさや檐端(のき・ば)の山の麥畠(むぎ・ばたけ)」。
呉港と題し「大船や波あたゝかに鴎浮く」、「呉かあらぬ春の裾山灯をともす」を詠んだそうです。 |
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2011年「歴史の見える丘」に建立の正岡子規句碑をみて頁を編集している時に、ここ金比羅山公園にも正岡子規句碑が建立されていることを知りましたので、撮影に行こうと思っていたのです。
2013年になりましたが、JR川原石駅からぶらり散歩しながら昭和までは繁栄したことを偲ばせる道沿いの店や空店舗などをみながらここ金比羅山公園に上って来ました。
正岡句碑は川原石の港が見える処に建立されていました。呉市立美術館の根際にも同じ句の句碑が建立されていますが、こちらの句碑が年代的には先に建立されています。 |
13.10.24.裕・記編集 |