(亀山神社)増岡登作頌徳碑

  呉市清水の亀山神社に建立されている「増岡登作頌徳碑」です。
第二次世界大戦利アラズ呉市ハ昭和廿(1945)年七月二日敵ノ空襲ニヨリテ亀山神社ヲ始メ市内諸施設ハ固ヨリ民屋殆全滅ノ悲運ニ追ヘリ 敗戦後昭和廿六(1951)年六月漸ク国家ノ独立ヲ回復シ、市内ノ諸施設亦次第ニ復興ヲ見ルニ至レルヲ以テ当神社再建ヲ企テ、之カ資ヲ募レド民力窮乏加ヱ遂年ノ財界不況ニ阻マレテ停頓為ス処ヲ知ラズ唯呆然タリシニ、当市出身ニシテ実業界ニ重キヲ成シ、■テ敬神ノ志篤キ増岡登作翁並ニ夫人ツマ刀目此事ヲ知リテ憂慮措カズ建立敢テ厭フ所ニ非サルモ、斯ル聖業ハ須ク衆人共ニスベク、芍クモ之ヲ私スベキニ非ズト極テ謙虚ナル誠意ヲ披歴セラル。茲ニ一同大ニ力ヲ得感奮興起、爾来急速ナル進展ヲ見ルニ至レリ。斯クシテ翁夫妻ハ忱然巨額ナル工費ノ過半ヲ負担、自ラ工ヲ督シ全力ヲ傾ケテ遂ニ壮麗ナル鉄筋混凝土ノ権現造社殿ヲ完成シテ類例稀ナル輪奐ノ美ヲ整へ、神威赫々トシテ彌高ク頑キヲ加へ給フヲ覚ユルナリ
今ヤ■風地ニ堕チ、美俗処ヲ払へル時翁夫妻ノ美拳ハ以テ世ノ範タルベク、吾等感激措ク能ハザル所ナリ。仍テ茲ニ功徳ヲ後昆ニ伝ヘントス                       
昭和卅(1955)年十一月
増岡 登作(ますおか とうさく:1891-1969)
実業家。広島県呉市出身。
1908(明治41)年増岡商店を改組、海軍御用商人。1940(昭和15)年広島県土木工業統制組合理事。1948(昭和23)年増岡組に改組改名社長。1969(昭和44)年勲四等瑞宝章受章。
  *次男の博之(1923-2011)は自民党衆議院議員で、厚生大臣も務めました。
亀山神社境内で増岡登作頌徳碑をみた時、呉市創業の建設会社の創業者かなと思いましたが、確かなことはその時わかりませんでしたが、帰宅後Wikipediaをみて増岡組の創業者ではありましたが、その前は親が興した増岡商店だった事を知りました。
14.02.18.裕・記編集

13.09.06.撮影
広島県呉市清水1-9-36  亀山神社

13.09.06.撮影
鷹司信輔 (たかつかさのぶすけ:1889-1959)
公爵、動物学者。東京出身。東京帝大卒。
鷹司煕通(ひろみち:1855-1918)の子。皇子傅育(ふいく)官。明治神宮宮司。1946(昭和21)年神社本庁統理。1912(明治45)年日本鳥学会を創立、本鳥類保護連盟の会長「小鳥の公爵」といわれた。貴族院議員。

13.09.06.撮影



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