圓鍔勝三作:ガラスのうさぎ

  呉市中央図書館前庭に建立されている圓鍔勝三作品「ガラスのうさぎ」です。
防空頭巾を被り、モンペ姿の少女が(飼っていた)ウサギと空襲から逃げている像かなと(わたしは)思ったのです。
この像寄贈者が(財)平田学園・平田澤意理事長と台座に刻まれていましたので、そういう光景を呉空襲で目にされたのかと思い帰宅してNET検索すればわかるだろうと思ったのです。
平田澤意(ひらたさわい:1919-1989)安芸郡熊野町出身。
平田工務店。京都社寺建築棟梁。1946(昭和21)年財団法人平田学園設立・洋裁学校「平田学園」開校。1951(昭和26)年銀の鈴保育園設立。1957(昭和54)年鈴らん保育園設立。
1945(昭和20)年7月1日呉市大空襲、8月6日広島原爆投下(同日救助活動のため広島入りし自身も入市被爆者となる)により焼け野原となった故郷の復興のため戦争未亡人となった女性が技術を習得し自立するため洋裁学校「平田学園」を設立。その際、子どもの面倒をみる人がいないので幼稚園を設立し、当時は無償で子どもたちを預かったそうです。
つづけてNET検索しているうちに、圓鍔勝三作の「ガラスのうさぎ」については、神奈川県二宮町に由来することがわかり像のモデルが高木敏子さんということもわかりました(下段)。
神奈川県二宮町のweb siteにこの「ガラスのうさぎ」の由来について、
太平洋戦争終結直前の1945(昭和20)年8月5日、JR二宮駅(当時国鉄)周辺には艦載機P51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となりました。
この時、目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」(高木敏子さん著)は国民の心に深い感動を呼び起こし、戦争の悲惨さを強く印象づけました。
この像は、私たち二宮町民が平和の尊さを後世に伝えるために、また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために、多くの方々のご協力をいただき建てたものです。
少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです。
二度と戦争があってはならないと、永遠の平和を願う人々の浄財によって1981(昭和56)年二宮駅南口に、この像は建てられました。
』と説明がありました。
二宮町の平和都市宣言:1982(昭和57)年6月18日
『・・・・・世界唯一の被爆国であり、戦争を放棄した我が国として、全世界に向かって核兵器の廃絶をうったえるとともに我が二宮町は「ガラスのうさぎ像」をシンボルとする平和を願う町民の意志を代表し、以下の方針を堅持する平和都市であることを、ここに厳粛に宣言する。』
今(2015)年呉市中央公園などを自転車で回っていたのです。
途中呉中央図書館前で信号待ちをした時にこの像をみましたので、近づき見ると圓鍔作とありました。ここに圓鍔勝三作品が建立されているのかと思って撮影しました。
防空頭巾を被りモンペを着た少女像でしたので、寄贈者の思いが込められた像かなと思ったのですが、もともとは神奈川県の二宮町での出来事を像にしたものだったのです(上記)。
この像をここ呉中央図書館前に寄贈した平田氏は、この像の由来、二宮町の平和宣言を知っておられ(広島県出身の)圓鍔勝三作品であることからご自身の思いも込めて寄贈されたのだろうと(わたしは)思いながらこの頁を編集しました。
15.10.15.裕・記編集

15.09.23.撮影
広島県呉市中央3-10-3  呉中央図書館

15.09.23.撮影

15.09.23.撮影

15.09.23.撮影

15.09.23.撮影

15.09.23.撮影
圓鍔作  1981(昭和56年).8.5

15.09.23.撮影

15.09.23.撮影



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