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呉市宝町の(愛称)大和ミュージアムの南側に無料の公園として整備されている「大和波止場」です。
※案内板には「大和波止場」とありますので大和波止場公園ではないようですが、用途は公園ですね。
※2005(平成17)年4月大和ミュージアムの開館に合わせようとしてその年整備開園した公園のようです。 |
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大和波止場は、戦艦大和の前甲板(左半分の実物大)をイメージしてつくられています。(下図)
実物大の戦艦大和の前半分の大きさ、(高さは低いのですが)艦橋部からみると大和の大きさが実感できるようになっています。
また、公園内には潜水調査船「しんかい」の実物展示があり、「仲渡道夫先生顕彰記念」碑が建立されており、2014年7月1日に「恋人の聖地」に認定されています。
(当初展示されていた)水中翼船「金星」は老朽化で(2014年)撤去されたようで空ピットになっています。 |
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戦艦大和の要目
全長:263.0m。 最大幅:38.9m。吃水(公試状態):10.4m。 計画乗組員:約2,500人。
最大速力:27.46ノット(時速約51キロ)。航続距離:16.0ノット(時速29.6キロ)で7,200海里(約13,334キロ) |
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今(2017年6月)回の主目的は、大和ミュージアム周辺に設置されているという戦艦大和をデザインしたマンホール蓋を撮影することでした(ので)。
ミュージアムの回りをぐるっとした時、「しんかい」が目に留まり、潜水艇しんかい2000は知っていましたので、近づき見たのです。説明板で、しんかい2000の前の潜水船で単に「しんかい」でした。そのとき、鐘が鳴りましたので何かなと思って芝生広場の方にいくと女子学生たちが、恋人の聖地の鐘を鳴らしたものでした。近くに「仲渡道夫先生顕彰記念」碑が建立されていましたので、それぞれの頁を編集するかと撮影しました。
空になったピットの前に説明板の板が外されていたぼで何が展示されているのかわかりませんでしたが帰宅後NET検索で水中翼船「きんせい」の実物が展示されていたようでした。 |
公園の先端から撮影していなかったので、2017年11月にこの大和波止場を訪ねた時は先端部からふり返った処などを撮影しましたので、この頁を更新しました。 |
18.05.31.更新 17.06.20.裕・記編集 |
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17.06.17.撮影 |
広島県呉市宝町5-20 大和波止場(を南側広場よりみました) |
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17.06.17.撮影 |
「艦橋展望台」 と 「大和波止場の案内板」(正面からは雑草が邪魔し撮影をあきらめました) |
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17.06.17.撮影 |
(艦甲板風に板貼りになっています) |
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17.06.17.撮影 |
17.06.17.撮影 |
戦艦大和の前甲板の左半分を実物大で再現 (ただし、写真は大和と同型の武蔵のものです) |
昭和16(1941)年12月16日呉海軍工廠で竣工しました。(起工1937年11月4日)
昭和17(1942)年2月12日から昭和18(1943)年2月11日まで連合艦隊旗艦となりました。
手話20(1945)年4月7日(沖縄への海上特攻作戦出撃)米軍の攻撃を受け九州坊ノ岬沖にて沈没しました。 |
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17.11.04.撮影 |
(上記説明板がある処からみました) |
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17.11.04.撮影 |
戦艦「大和」46cm主砲 |
戦艦大和の手法は、世界最大の口径46cmの艦砲でした。砲身の全長は≒21.3m、重量は165tありました。 |
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17.06.17.撮影 |
(下記説明板がある処からみました) |
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17.06.17.撮影 |
戦艦「大和」艦橋 |
艦橋は、艦(ふね)の頭脳にあたるところで、司令塔、作戦室、主砲射撃指揮所、防空指揮所などが設置され、四季に必要な各種装置が集中していました。艦橋の高さは海面から≒40mで10回程度のビルディングに相当します。 |
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17.06.17.撮影 |
(艦橋展望台からみたところです) |
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17.11.04.撮影 |
(大和波止場先端の方はまさしく恋人の聖地) |
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17.11.04.撮影 |
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17.11.04.撮影 |
(大和波止場先端付近から振り返り)大和ミュージアムをみました |
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17.06.17.撮影 |
17.06.17.撮影 |
17.06.17.撮影 |
17.11.04.撮影 |
潜水調査船「しんかい」 |
恋人の聖地:大和波止場 |
仲渡道夫先生顕彰記念・碑 |
誓いの錨 |
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17.06.17.撮影 |
東側中央桟橋ターミナルビルから大和波止場をみました |
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17.11.04.撮影 |
(大和波止場案内図を撮影しました) |
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