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呉市天応大浜の呉ポートピアパークに展示されている「呉市電1001号」です。 |
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旧呉市電1001号 平成16(2004)年7月19日 呉市 |
この電車は、昭和34(1959)年に製造されたもので、当時としては最新鋭の耐久性構造、超軽量車体の軌道電車です。呉市電が廃止された昭和42(1967)年までの8年間川原石~長浜間11.3kmを運行し、多くの呉市民に利用されました。
昭和43(1968)年からは、海を渡り松山市内を走る路面電車として運行を開始し、永年醫わたり松山市民や観光客に親しまれてきました。
しかし、製造から45年を経た平成16(2004)年、超低床軌道電車の導入を契機に引退することになり、伊予鉄道(株)からのご寄贈により、37年ぶりに呉市に里帰りしたものです。
この電車の内装は、松山市内を運行していた姿のままとし、外装は呉市内を運行していた当時の姿に復元し、松山市と呉市の友好のシンボルとして展示知るものです。 |
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呉市電の歩み |
※Wikipediaの沿革とは違っていましたが、説明板を優先しました。 |
1909(明治42)年10月31日 |
呉電気鉄道(株)による県内初の市街電車西本通3丁目 - 本通9丁目間開通 |
12月26日 |
呉電気鉄道(株)により呉駅前分岐- 呉駅間開通 |
1910(明治43)年04月27日 |
呉電気鉄道(株)により西本通3丁目-西本通1丁目(川原石)間開通 |
1911(明治44)年03月26日 |
呉電気鉄道(株)により本通9丁目 - 朝日町間開通 |
10月25日 |
呉電気鉄道(株)と広島水力電気(株)が合併して広島呉電力(株)となり電気軌道経営開始 |
1921(大正10)年08月12日 |
広島呉電力(株)と広島電燈(株)が合併して広島電気(株)となる |
1922(大正11)年12月20日 |
芸南電気軌道(株)設立 |
1924(大正13)年02月01日 |
市街電車を左側通行に転換 |
1927(昭和02)年04月10日 |
芸南電気軌道(株)により本通9丁目 - 呉越間開通 |
11月28日 |
芸南電気軌道(株)により呉越-先小倉間開通 |
1929(昭和04)年04月10日 |
芸南電気軌道(株)が広島電気(株)の軌道を買収し、市街電車の経営一本化 |
1930(昭和05)年12月30日 |
芸南電気軌道(株)により先小倉-広工廠間開通 |
1935(昭和10)年12月21日 |
芸南電気軌道(株)により広工廠-長浜港間開通 |
1942(昭和17)年12月01日 |
呉市が芸南電気軌道(株)を買収し呉市交通局が発足 |
1961(昭和36)年04月22日 |
県内初のワンマン電車の運行 |
1967(昭和42)年12月17日 |
呉市営電車廃止 |
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*行を揃える為(わたしのこの頁では)4月を04月というように書いています。 |
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広島ぶらり散歩「広島新四国88ヵ所霊場」編を2008年編集して以来まだ満願とはなっていません。そこで今(2018年4月)回は、未巡礼の三ヶ寺(呉地区)のお寺を巡ったのです。
その三ヶ寺を巡る前に昼食を呉海自カレーを食べてからと考え、ここポートピアパーク・乙女椿で海自カレーを食べたのです。 |
海自カレーを食べてから駐車場に帰ろうとした時にみたのが、この呉市電でした。
以前ここポートピアパークになってからも立ち寄ったこともありましたが、呉市電が展示されていることは知らなかったので、三ヶ寺巡礼の幸先がいいことだなとうれしくなり、撮影しました。
呉市電については、以前入船山公園で、呉市電の敷石をみて知ったので、昔から呉市電が運行していたことを(わつぃは)知っていたわけではありません。 |
関連頁:(裕編集の)入船山公園(通路の石) |
18.06.01.裕・記編集 |