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呉市天応大浜に開園している「呉ポートピアパーク」(入場無料の公園)です。 |
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呉市は次のように呉ポートピアパークを紹介しています。
『呉ポートピアパークは、2000(平成12)年7月20日(海の日)に開園しました。
約6.8haある市民公園で、公園のテーマは「自由空間 遊びとにぎわいの創造 わたし流の公園遊び」です。
それは、太陽と風と緑を感じることのできる公園で、入園者それぞれが、「自分の楽しみを活かし」、「自分で遊び」、「自分がする」といった、思い思い(わたし流)の楽しみ方や、若者も子どももお年寄りも、世代を超えて憩い・遊び・交流できる公園なのです。
水遊びができる池やトライアル広場、絵本やマンガが自由に読める子ども館など、多彩な施設が盛りだくさんです。また、休日には様々なイベントも繰り広げられます。』とあります。 |
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1992(平成04)年03月20日 |
呉ポートピアランド(運営主体・阪急電鉄や呉市が出資した第三セクター)。 |
1998(平成10)年08月31日 |
休園(負債114億円)。 |
2000(平成12)年07月20日 |
呉ポートピアパーク(無料の公園として)開園。 |
2000(平成12)年11月 |
呉イルミナーレが(呉市を元気にするイベントとして)開催されるようになる。 |
2004(平成16)年07月19日 |
園内に呉市電1001号を展示 |
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広島ぶらり散歩「広島新四国88ヵ所霊場」編を2008年編集して以来まだ満願とはなっていなかったのです。そこで今(2018年4月)回は、未巡礼の三ヶ寺(呉地区)のお寺を巡ったのです。
その三ヶ寺を巡る前に昼食を呉海自カレーを食べてからと考え、ここポートピアパーク内の食堂・乙女椿※で海自カレーを食べたのです。 |
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食堂の名・乙女椿が呉に伝わる民話・乙女椿からきたことを(はじめてわたしは)知りました。
『昔々、呉の港は三方を山に囲まれた寒村でした。この村の長者に美しい一人娘がいました。長者はこの娘に三国一の花婿をと考えていましたが、この娘は呉の浦で一番貧しい漁師の若者と「末は夫婦に」と固い約束を交わす仲になっていたのです。
怒った長者は、娘を部屋に閉じ込め、若者へ嫌がらせをしはじめました。行く末を悲観した二人は嵐の二百十日の夜、身体を縛り合って海に身を投げました。翌朝、若者は能美島に、娘は呉の浦に打ち上げられました。いつの日でしょうか能美島には一本の男椿が芽を出し、呉の浦には乙女椿が一輪の花を咲かせました。とさ
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海自カレーを食べてから駐車場に帰ろうとした時にみたのが、呉市電でした。
以前ここポートピアパークになってからも立ち寄ったこともありましたが、呉市電が展示されていることは知らなかったので、三ヶ寺巡礼の幸先がいいことだなとうれしくなり、撮影しました。
先に呉市電の頁を編集していましたが、やはり呉ポートピアパークの頁がなくてはと、撮影画像はわずかですがこの頁を編集しました。
公園の案内図は現地でみた図より、呉市がweb site上で公開している案内図の方がわかりやすかったので、同じ呉市制作でもNET上の案内図を使用しました。 |
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2018年7月6日の西日本豪雨でここ呉市天応地区も大きな被害を受けています。
公園自体に被害はなかったようですが、広島からの陸路交通が寸断されていることでここポートピアパークは(長期の)休園に入っています。JRは海田市~坂8月2日再開、坂~呉9月9日再開予定。
また、7月21日中國新聞の「豪雨災害ごみ、呉各地で山積みに」という記事で、
『・・・呉ポートピアパーク(天応大浜)の駐車場にも冷蔵庫やいす、流木などが積まれ始めた。・・・』ということで山積みされた災害ゴミのうしろにシンボルドームが写った写真を掲載していました。 |
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2018年12月1日RCCラジオニュースを聞いていたら
『西日版豪雨での被害はなかったが、それ以後の災害復旧の自衛隊活動拠点になったり、災害ゴミ・土砂などの仮置場になったりしたことで、休園を続けていたが、拠点として終了し、災害ゴミ・土砂などの撤去か完了し、安全が確認されたので(やっと)開園することになった。』と伝えていましたので追記しました。 |
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18.12.01.更新 18.08.16.裕・記編集 |