「神石町非核平和自治体宣言」記念碑
  神石郡神石高原町高光の神石高原町神石支所に建立されている「神石町非核平和自治体宣言」記念碑です。
*碑面に「恒久平和」とありますので、「神石町 恒久平和」碑と題してもいいのかなと思ったのですが、平岡広島市長揮毫で当時の神石町町長ではないので「神石町非核平和自治体宣言」記念碑と題して編集しました。
※1987(昭和62)年神石郡神石町時代に建立された石碑です。
正面: 恒久平和
広島市長 平岡 敬     (第31・32代:1991-1999)
裏面: 非核平和自治体宣言のまち
神石町 
1986.9.26.   
1992.8.6.建立
※1986(昭和61)年9月26日神石町町議会で「非核平和自治体宣言」が議決されています。
『恒久平和を実現することは、全人類共通の悲願であります。
しかるに今日の世界情勢をみるとき、核兵器の存在は世界平和と人類の生存に大きな不安をもたらしている事は誠に遺憾にたえません。
したがって、神石町は、生命の尊厳を深く認識し、世界の完全平和のために貢献することを決意を表明するとともに、非核三原則が完全に実施されることを願い、ここに非核平和自治体であることを宣言する1986年9月26日広島県神石町。』
   旧広島市庁舎被爆石
これは、1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾の被災を受けた広島市の旧庁舎の前庭の敷石です。
旧庁舎は、被爆に際しては、強烈な熱戦と爆風を受けましたが、崩壊を免れました。しかしながら、付近の建物から発生した火事が延焼し、わずかの部屋を残して猛火のじゅうりんに任せて焼き尽くされました。崩壊を免れた旧庁舎では、生き残った職員により被災者の救護活動が行われ、またその後の街の復興の拠点としても大きな役割を果たしました。
広島市では、1985(昭和60)年、建物の老朽化に伴い庁舎の建替えを行い、役割を終えた旧庁舎を取り壊しましたが、戦後の幾度かの改修で装いを変えたなかで被爆当時のままで残っていた前庭の敷石なども保存し、新庁舎の外構工事の材料として再利用しました。これらの石材については、全国から、平和祈念の碑石として、また、平和学習・平和教育の教材として、譲り受けの希望が数多く寄せられました。被爆庁舎の石は、全国各地で、平和を訴える語り部として生き続けています。 広島市
  1992(平成4)年広島市のご厚意により恵贈いただいたものです。
    1992(平成4)年8月6日 神石町
日本非核宣言自治体協議会があります。
昭和59(1984)年に設立され、非核宣言を行った自治体が連携し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現のためにさまざまな平和事業を推進しています。
長崎市長が会長を務め、長崎市が事務局を運営しています。
神石町をも受け継いだ、神石高原町も2005(平成17)年6月24日に非核・平和自治体宣言をしています。
今(2021年)回、資料で知っていたこの「神石町恒久平和の碑」とを訪ねること「平和 50年の彼方に」像を主目的に、現在の神石郡神石高原町を訪ねたのです。今回も息子運転の車で訪ねました。
神石郡神石町であった1992年に建立されたこの碑、非核平和自治体宣言が出されたのが1986年ですので、碑の建立までに6年ほどかかっているようです。
如何なる理由があったかはいまのわたしにはわかりませんが、油木町の同様の記念碑は宣言が1985年に出されて1987年に建立されているので2年ほどかかっています。
広島市役所から寄贈してもらう被爆敷石の調整に時間がかかったのかもしれませんが。
 21.11.29.裕・記編集

21.11.21.撮影
広島県神石郡神石高原町高光2559  神石高原町神石支所

21.11.21.撮影
(庁舎玄関横に建立されています)

21.11.21.撮影
「恒久平和」 広島市長 平岡敬

21.11.21.撮影

21.11.21.撮影
(碑裏面)



「平和祈念碑等建立地一覧」編


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   (神石高原町神石支所関連)
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