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広島県神石(じんせき)郡神石高原町油木に遺されている「歌の清水と歌の御堂」です。
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平安時代後期から鎌倉時代初期の歌人・西行法師(1118-1190)が、旅の疲れを癒したお堂と涌水で、ここで歌一首を詠んだと伝わっています。 |
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現在は湧き水はありません。 |
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(現在の)堂内には、(油木町)権現山八十八箇所(霊場)石仏の第一番石仏が安置されています。 |
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2004(平成16)年11月5日神石郡全町村(油木町+神石町+三和町+豊松村)=神石高原町が発足。 |
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西行法師由来の地 「歌の清水と歌の御堂」 油木町教育委員会
昭和45(1970)年10月1日油木町指定文化財に指定
今を去る、800年前、西行法師(1118-1190)が、東は白河の関を超えて奥州路へ、西は伊予の松山に崇徳院の白峰山を訪ね、更に安芸の宮島に詣で帰路、備後路より備中路に行脚を続けました。
その盛夏の頃、油木の里を通った際、路傍に清冽たる湧き水があり、その傍らに休み堂があったのでここで憩い、清水に旅の疲れを癒し、歌を一首遺したと伝わっています。
「手にむすぶ 岩間の清水 底澄みて行きかふ人の かげも涼しき」 |
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前記 (歌の御堂保存会)
我らがまち油木には、遠い祖先たちから受け継がれてきた多くの史跡や民俗文化が溢れています。
その中で、この歌の御堂は「西暦1171(承安元)年に西行法師(1118-1190)が行脚で油木の里を通過の折り、ご休憩をされた」という伝説や「1721(享保6)年豊前中津藩主奥平大膳大夫昌成公(1694-1746)が再建された(棟木に記)」という記録の残る歴史的にも由緒ある貴重な建造物であり、油木町の文化財にも指定されています。
この御堂は狭い町道の交差点の一段低い場所にあったものを交差点拡張に伴って、(三上和麿氏寄贈に)ふるさと八十八のなかま会の会員によって造成・移転するとともに歌の御堂保存会を中心に近在の住民のかたがたによる浄財寄付をもって屋根の吹き替え工事がなされた。
「手に結ぶ 岩間の清水 そこ澄みて 行き通う人の影も涼しき」
と西行法師の歌に詠まれた「歌の清水」とともに、永く里人達に親しまれていくことを願うものです。 |
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旧油木町役場前に建立されている「油木町非核平和自治体宣言記念碑」を撮影し、次の旧「神石町非核平和自治体宣言記念碑」を訪ねようと旧油木町役場を出てからまもなく道路の根際でみたお堂で、説明板が目に留まりましたので、息子に車を留めてもらい撮影したのが、この歌の清水と歌の御堂だったのです。 |
22.11.10.裕・記編集 |