(被爆した構築物)広島刑務所・塀 -消滅-

  中区吉島町の広島刑務所の“被爆した塀”をこの頁では取り上げました。
※(聞いていたように)2015年度中に新しい外壁になり被爆した塀は無くなったのでしょう。
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019年に新しい塀になったところを確認しました。(別頁で編集しました)
広島刑務所は、現在法務省広島矯正管区に属する刑務所で、禁固刑受刑者・若年再犯者・初犯・再犯者・身体障害者と幅広い分類の受刑者が集まる男子刑務所です。収容定員1,800人。日本第5の規模だそうです。
被爆当時、事業内容は受刑者の刑の執行と、未決拘禁者の身柄確保を目的とした収容施設で、在籍者数270人、被爆時の出勤者数250人。被爆時の収容者数1,154人。 
                   爆心地より≒1,810m〜2,250m。
現在の広島刑務所外周の塀は、1888(明治21)年監獄として設置された時に同時に築造されたもので、土壁で出来ているそうです。
1945(昭和20)年8月6日に被爆した構築物でしたが、2011年暮に撮影時点で北側の塀は残っていますが、南側が新しい塀となり、東側の塀が新しい塀の工事が2012年1月31日竣工という事で工事が施されていました。
略沿革    
1888 明治21年3月 吉島(現在地)に監獄設置
1890 明治23年10月 広島監獄署と改称
1903 明治36年4月 広島監獄署を広島監獄と改称
1922 大正11年 広島監獄を広島刑務所と改称
1945 昭和20年8月6日 原爆投下により多数の職員、受刑者が被爆、死亡
2012 平成24年1月11日 受刑者の中国籍の男1人が脱獄。2日後に逮捕されました。
広島原爆戦災誌によると、広島刑務所では、
『(職員):即死者2人、負傷者約100人。 (収容者):即死者14人、負傷者約500人。
原子爆弾の炸裂と同時に、窓ガラスは飛散、(木造建物が主でした)建物が倒壊した。その下敷きとなった職員や収容者が、あちこちで助けを求める悲鳴をあげ、負傷者が続出した。
胸部を爆風によって1/3くらい抉り取られて即死している者、頭部を1/6ばかり扶られて真赤な鮮血が湧き出て意識不明になっている者、風船のように腫れあがった顔をした者、工場から死体を運び出す者など、どの人も衣服はボロボロに破れ、身体はまっ黒く汚れ、ために血の色も茶色に見え、皮膚は剥げてぶら下り、凄惨な修羅場が一瞬の間に現出した。
爆風によって工場・庁舎(事務所)・舎房の大半が全壊した。また北側外塀に亀裂を生じた。しばらくして所内十数か所から発火した。しかし熱線による自然着火ではなく、隣接民家の火災による飛火や、火鉢あるいは炉の火の上に家屋が倒壊し、着火したものと思われる。しかし、この火災は、収容者や職員がバケツリレーで送水し鎮火させた。従って火災被害は軽微であった。バケツリレーのほか、一部建物をこわすことによって延焼を防止したことも効果があって、発火後約30分にして鎮火した。・・・』とあります。
2000年頃から(わたしは)原爆関連の慰霊碑を巡りだしてから資料で、広島刑務所の中に“原爆関連の慰霊碑”が建立されている事を知りましたが、許可がいることなどでなかなか足が向かなかったのです。
被爆構築物に関する資料をみている時に、ここ広島刑務所の塀が被爆したものとして掲載がありましたので、これは外から撮影すればいいので、機会があったら撮影しようと思っていたのです。
2011年12月交流ウォーク吉島地区の時少し早目に行って撮影しようと思ったのです。
東側の塀が工事中で工事用足場が組まれていました。建築屋のはしくれだったわたしは、改修工事などで組立てる外部足場は泥棒がそこから入る危険性が高いから部屋の施錠を忘れないようにといったものでした。
ここ広島刑務所の外塀工事の仮囲いと足場をみた時、中の人間が逃げだすことがないよう内部側の足場もなっており、そして機械的設備が設置してあるのだろうだろうな〜と思ったのですが、まさか撮影してから1ヶ月もたたないうちに脱走犯がこの足場を利用して出たことに驚きました。
この頁を編集するとき、この脱走犯が出た事を抜きには出来きなくなりましたが、脱走犯を出した広島刑務所を批判する頁を編集するのが目的ではなく、被爆した外塀に注目し、これから改修されて無くなるであろうこの被爆した構築物の頁を編集することでした、ので事件後1年以上も過ぎた2013年のいまになり編集しました。
今(2013)年8月6日所内に建立の(原爆被爆犠牲者)鎮魂碑を訪ね撮影しましたので、内部側の一部分ですが被爆した外塀をみました。
鎮魂碑撮影に立ち会っていただいた広島刑務所の担当官の方に残っている被爆した外塀はいつ新しくなるのか尋ねました。再来年度(2015年度)には建替えになるのではと云われていました。
2013年8月21日この頁を更新した時には、北側にはまだ“被爆した塀”が残り(建替え工事中)でした。
原爆死没者鎮魂の碑を撮影した時、立ち会っていただいた刑務所担当者に塀の建替え工事は2015年度に終わるだろうと聞いていました。
2019年6月になりましたが、新しくなった外塀を撮影しましたので、ここで取り上げた「被爆した(旧)塀」が消滅したことを確認しましたので、この頁に-消滅-を加え更新しました。
20.03.03.更新   13.06.07.裕・記編集

11.12.17.撮影
広島市中区吉島町13-114

11.12.17.撮影
北側外塀の西側

11.12.17.撮影
北側外塀の東側(石積みの基礎があります)

11.12.17.撮影
北側外塀の東側(塀の建替え工事の足場が組んでありました)

13.08.06.撮影

13.08.06.撮影
基礎の石積み部分 控え柱部分

13.08.06.撮影
被爆した外塀(の内側) と 手前に(原爆被爆犠牲者)鎮魂碑



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