(醫王山)浄光寺

  広島県庄原市の上原町に創建されている「医王山 浄光寺」です。
曹洞宗のお寺で、本尊は薬師如来です。
山内氏の家臣であった梶兵部祐忠が建立。
僧・大休を開山とすると伝えられています。
浄光寺の資料は、庄原市東地区歴史マップを参照しました
山内氏の由来
平安時代に藤原資清が首藤大夫と称したのにはじまる。
藤原俊通の時に、鎌倉近くの山内庄を拠点としたので、山内を名乗るようになった。
14世紀初め〔1316(正和5)年〕山内通資が地毘庄北部の蔀山(しとみやま)城〔現・庄原市高野町〕に入り、後〔1355(文和4)年〕に地毘庄本郷〔現・庄原市〕の高山(甲山:こうやま)城に移った。
戦国時代(16世紀)には、出雲の尼子氏、安芸の毛利氏と肩を並べる備後国北部の有力国人領主山内首藤でした。
のち、毛利氏に帰属し、1600(慶長5)年長門国に移るまで、この城に拠っていた。
ここ浄光寺へは「広島陸軍幼年学校生徒慰霊碑」を主目的に訪ねたのです。
お寺の駐車場から本堂前に行こうとした時、大型犬に吠えられ、その犬が思い切って走ってきたので小心者で目が悪いわたしは慌て慄きましたが、長い紐で繋がれていたのが見え(後から来ていた)息子は大丈夫とわたしに云ってきました。それにしても泥棒よけにはなるが一般人には何とも物騒な事かと思ったので、帰りには鐘楼門をくぐり石段を下りて犬に合わないように駐車場に行きました。。
このお寺の頁は、庄原市東地区歴史マップに本尊などの情報(創建年代は記述がなくわかりませんでした)が記載されていましたので、編集することにしました。
本堂前梁上の扁額の読み方が間違っていると愛媛県のGさんに教えていただきましたので、訂正しました。22.08.24.追記
22.12.20.裕・記編集

22.08.14.撮影

22.08.14.撮影
庄原市上原町2527 浄光寺

22.08.14.撮影
“法輪常轉”       “吊日増輝”

22.08.14.撮影
鐘楼門

22.08.14.撮影
本堂

22.08.14.撮影
(浄光禅寺)



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