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広島県庄原市東本町に建てられている「龍尾山密厳院 宝蔵寺」です。
※真言宗御室派のお寺で、本尊は聖観世音菩薩です。
※備後国三十三観音霊場二十番霊場。
※広島原爆戦災誌によると、
1945(昭和20)年4月頃から10月ころまで広島市・青崎国民学校の学童疎開児50名を受け入れています。
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当山は、龍尾山密厳院宝蔵寺と号し聖武天皇の天平5(733)年3月川北勝光山に行基菩薩(668-749)開基せられ、延暦(781-806)の末弘法大師(774-835)錫を留めて自ら真言の宗風を宣揚せられる。
保延元(1135)年宮中の祈願所となる。
室町時代に至って大永5(1525)年柳原大仙谷龍尾山に移り奴可三上恵蘇三郡内に四十余の末寺を有し甲山城主山内家累世の祈願所となる。その後毛利家御国替により山内家長州に移り後、寛永年中(1624-1644)柳原堂迫に移る。正保2(1645j)年8月当山末寺上野寺を合併し此の地に移り、いまに至る。 |
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今(2022)年盆休暇で帰ってきた息子が行きたいところに連れて行くと云ってくれたので、庄原市に建立されている原爆関連の慰霊碑と庄原出身の倉田百三関連の石碑などを訪ねてみたいと頼んだのです。
資料を見て知っていたここ宝蔵寺の「原爆犠牲軍人の碑」も訪ねたのです。
境内に入り、山門に仁王像が安置されている大きな寺院だなと思いながら「原爆犠牲軍人の碑」を探しながら本堂の方に歩いて行くうちに左手にみたのが「原爆犠牲軍人の碑」でしたので、頭を垂れた後撮影しました。
その後、お寺の頁も編集しようと本堂前に行くと、いまどき鍵がかかりご本尊の前でお参りできないお寺も多い中、ここ宝蔵寺は本堂に上がることができたので、息子とともにご本尊の前で手を合わせる事が出来ました。
境内でみた、“征清紀念碑”、県重要文化財の“宝篋印塔”、“手押しポンプ”は別頁で編集したいと思っています。 |
22.08.21..裕・記編集 |
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22.08.14.撮影 |
庄原市東本町2-5-22 宝蔵寺 |
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22.08.14.撮影 |
“鐘楼” と “山門” |
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22.08.14.撮影 |
仁王門 (奥:勅使門) |
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22.08.14.撮影 |
22.08.14.撮影 |
(吽形) |
(阿形) |
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22.08.14.撮影 |
本堂 (手前上:観音堂) |
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22.08.14.撮影 |
鐘楼 |
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22.08.14.撮影 |
観音堂(扁額:忠魂堂) |
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22.08.14.撮影 |
(上:観音堂) 井戸:手押しポンプ 鐘楼、(根際)原爆犠牲軍人の碑 |
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22.08.14.撮影 |
本堂 手水舎 (奥:宝篋印塔) |
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22.08.14.撮影 |
本堂 |
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22.08.14.撮影 |
本堂前(梁上・扁額=山号額:龍尾山) |
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22.08.14.撮影 |
本尊:聖観世音菩薩 〔フラッシュ焚かず撮影させていただきました〕 |
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当山開創一千二百五十年記念 第廿七世 俊成大僧正頌徳碑 |
22.08.14.撮影 |
昭和四十五(1970)年十一月吉辰(建立) |
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