(庄原市)百三ひろば

  広島県庄原市西本町の庄原市市有地に整備されている「百三ひろば」です。
※市から無償で観光会議が借りて管理する≒170㎡の三角形の広場です。
この広場は、1984(昭和59)年、庄原市観光協会が市有地を借り受け整備しました。
自然石の倉田百三文学碑には百三の代表作『愛と認識の出発』の序文の言葉「青春は短い宝石の如くにしてそれを惜しめ」が刻まれています。
併せて、配置した標石には「文芸の小路→これより東」とあります。ここを起点に百三の生誕地跡まで約350mの小路が続きます。「文芸の小路」は後に「百三小路」と命名されました。
1991(平成3)年には、倉田百三生誕百年祭実行委員会により、吉田正浪氏制作の倉田百三の胸像が、市民の寄付を得て建立されました。     2022(令和4)年 庄原まちなか観光会議
  説明板には「文芸の小路→これより東」とありますが「文芸の小路 こゝより東へ」と刻まれているようです。
倉田百三(くらた ひゃくぞう:1891-1943)
大正~昭和初期の劇作家、評論家。広島県(庄原市)出身。一高中退(結核を患い)。
一高在学中に西田幾太郎(哲学者1870-1945)の影響を受ける。
1917(大正6)年戯曲「出家とその弟子」により求道的な文学者として出発。1921(大正10)年評論集「愛と認識との出発」を発表当時の青年の必読書となる。
1926(大正15)年「生活者」を創刊、主宰。白樺派と交流を深め社会問題に関心を寄せたが、晩年は超国家主義に傾いた。戯曲「俊寛」など.。
今(2022)年盆休暇で帰ってきた息子が行きたいところに連れて行くと云ってくれたので、庄原市に建立されている原爆関連の慰霊碑と庄原出身の倉田百三関連の石碑などを訪ねてみたいと頼んだのです。
庄原市のweb siteの“倉田百三について”でこの「百三ひろば」が庄原グランドホテル横に開設されている事を知ったので訪ねたのです。
22.09.24..裕・記編集

22.08.14.撮影
庄原市西本町2-15-39  (庄原グランドホテル東隣)

22.08.14.撮影
百三ひろば・説明板(上記)、倉田百三胸像、倉田百三文学碑

22.08.14.撮影

22.08.14.撮影
百三ひろば・説明板、倉田百三胸像、倉田百三文学碑

22.08.14.撮影
倉田百三胸像、倉田百三文学碑

22.08.14.撮影

22.08.14.撮影 
文芸の小路・碑
こゝより東へ
昭和五三(1978)年八月
川柳小路として発足 文芸小路の会

22.08.14.撮影
(胸像目線でみてみました)



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