|
広島県庄原市西本町の‘百三ひろば’に建立されている「倉田百三文学碑」です。
※百三の代表作“愛と認識の出発”の序文の言葉「青春は短い宝石の如くにしてそれを惜しめ 百三」と刻まれています。
|
倉田百三(くらた ひゃくぞう:1891-1943) |
大正~昭和初期の劇作家、評論家。広島県(庄原市)出身。一高中退(結核を患い)。
一高在学中に西田幾太郎(哲学者1870-1945)の影響を受ける。
1917(大正6)年戯曲「出家とその弟子」により求道的な文学者として出発。1921(大正10)年評論集「愛と認識との出発」を発表当時の青年の必読書となる。
1926(大正15)年「生活者」を創刊、主宰。白樺派と交流を深め社会問題に関心を寄せたが、晩年は超国家主義に傾いた。戯曲「俊寛」など.。 |
|
今(2022)年盆休暇で帰ってきた息子が行きたいところに連れて行くと云ってくれたので、庄原市に建立されている原爆関連の慰霊碑と庄原出身の倉田百三関連の石碑などを訪ねてみたいと頼んだのです。
庄原市のweb siteの“倉田百三について”で‘百三ひろば’が庄原グランドホテル横に開設されている事を知ったので訪ねたのです。そこでみた文学碑をこの頁では取り上げました。 |
22.09.24..裕・記編集 |