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広島県庄原市西本町の中央児童公園に建立されている「倉田百三歌碑」です。
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庄原市の資料によると
ここ中央児童公園には、百三の詠んだ700首の中から選ばれた三首の短歌碑が建立されているそうです。その短歌の揮毫は、増原一郎氏だそうです。
「此の母の背中に面をおしあてて泣き眠りけむ昔おもほゆ」
「白雲の遠べの里に君生けり春蘭の花はこゝに息づく」
「子ら去りてさびしく見ゆるぶらんこの梁の上に出でし月かげ」 |
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資料を詳しく見て居ればよかったのですが、
資料最初の「此の母の背中に面をおしあてて泣き眠りけむ昔おもほゆ」の歌碑だけを取り上げています。 |
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倉田百三(くらた ひゃくぞう:1891-1943) |
大正~昭和初期の劇作家、評論家。広島県(庄原市)出身。一高中退(結核を患い)。
一高在学中に西田幾太郎(哲学者1870-1945)の影響を受ける。
1917(大正6)年戯曲「出家とその弟子」により求道的な文学者として出発。1921(大正10)年評論集「愛と認識との出発」を発表当時の青年の必読書となる。
1926(大正15)年「生活者」を創刊、主宰。白樺派と交流を深め社会問題に関心を寄せたが、晩年は超国家主義に傾いた。戯曲「俊寛」など.。 |
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昼食時間を過ぎていましたので、JR備後庄原駅前に行けば食堂などがあるだろうからと行ったのですが、食堂は無いとのことで、この公園横“庄原ショッピングセンター”通称・ジョイフルながえ
には食堂街があると教えてもらったので、ショッピングセンター内の食堂で昼食を食べたのです。
食べた後、この児童公園に行ったときにみた石碑で、近づきみると“百三”とありましたので、倉田百三の歌碑であることがわかり撮影しました。 |
22.10.05..裕・記編集 |