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広島県庄原市西本町の中央児童公園に移設建立されている「火野葦平母マン生誕の地・碑」です。
※この碑は、備後庄原駅前に設置されていましたが、駅前再開発事業で、ここ中央児童公園に移設されたそうです。
※もともとは、庄原市峰田町の母マンの実家の菩提寺・仲蔵寺に建立されていたようです。 |
正面: |
火野葦平
文学碑所在地
母マン生誕の地 |
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裏面: |
昭和六十三年十一月
庄原火野葦平と母マンの会■■ |
昭和63年=1988年
■■は、建立? |
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火野葦平(ひのあしへい:1907-1960) |
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小説家。福岡県遠賀郡若松町(現・北九州市若松区)生まれ。本名:玉井勝則。
1928(昭和3)年早稲田大学英文科中退。 1929(昭和4)年家業の港湾荷役業玉井組の跡目を継ぎ、労働組合を結成して港湾ゼネストを指導。特高に逮捕されて日本共産党に疑惑を抱き転向。「糞尿譚」
(1937) で芥川賞を受賞。同年召集を受け、中国大陸に転戦しながら「麦と兵隊」 19(38) 、「土と兵隊」 (1938) ,「花と兵隊」(1938~1939)
を書いた。
第2次世界大戦後は公職追放指定を受け、1950年解除後、「赤道祭」 (1951) 。「花と竜」 (1952~1953) 、「革命前後」 (1959)
を書いた。
死後、遺族より自殺と発表された。 |
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「花と竜」は、父:玉井金五郎(現・愛媛県松山市出身)と母:マン(旧姓・谷口;現・庄原市峰田町出身)の生涯を描いた作品。 |
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昼食時間を過ぎていましたので、JR備後庄原駅前に行けば食堂などがあるだろうからと行ったのですが、食堂は無いとのことで、この公園横“庄原ショッピングセンター”通称・ジョイフルながえ
には食堂街があると教えてもらったので、ショッピングセンター内の食堂で昼食を食したのです。
食べた後、この児童公園に行ったときにみた石碑で、近づきみると“火野葦平母マン生誕の地・碑”とありました。
先に編集したJR備後庄原駅を編集する前にNETではどういう頁があるのかとみていたとき、ここで取り上げた“火野葦平文学碑所在地・碑”が駅前に建立されている(いた)事を知ったので、駅前再開発で、ここ中央児童公園に移設建立されたのだと分かったのです。 |
22.10.05..裕・記編集 |