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広島県庄原市東本町の上野公園北側丘陵頂部に遺されている「瓢山(ひさごやま)古墳」です。
*一見してすぐに前方後円墳と分かります。 |
現地設置標柱(正面) |
広島県史跡 瓢山古墳 |
(側面) |
昭和四十三(1968)年三月三十日建之 庄原市教育委員会 |
(裏面) |
昭和拾七(1942)年六月九日指定 広島県教育委員会 |
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現地設置説明碑: |
(広島県)県史跡
瓢山古墳 昭和17(1942)年6月9日指定
所在地 庄原市本町字上野山261
本古墳は、市街地の最頂部に位置する前方後円墳です。その規模は、全長41.0m、後円部の直径22.0m、高さ4.0m。前方部の幅17.8mで葺石がふかれ周囲には円筒形埴輪がめぐらされた奥型的な前方後円墳です。
前方部がやや低く葺石・埴輪をもった点から古式の古墳(1,500年前)であるのでしょう。 |
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(現在の)広島県教育委員会の資料では、
前方後円墳
全長:36m。後円部径:22m、後円部高さ:4m。前方部幅:17.8m、(高さ:≒3.5m。)
解説
○古墳時代中期(5世紀)に築造された前方後円墳と推定されます。
周囲には円筒埴輪がめぐらされた葺石が葺かれている典型的なものです。
なお、この古墳の周囲には大小数基の円墳が存在していましたが、現在では見ることが出来ません。
○庄原市内にはこのほかにも約91の古墳群が存在しており、その中には数基の全長40~50mに及ぶ前方後円墳も含まれており、県北部でも有数の前方後円墳が集中する地域となっています。
その規模・分布状態から見て、この地方には古墳時代にはすでに多くの人が住んでいたことを証明するものです。 |
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今(2022)年盆休暇で帰ってきた息子が行きたいところに連れて行くと云ってくれたので、庄原市に建立されている原爆関連の慰霊碑と庄原出身の倉田百三関連の石碑などを訪ねてみたいと頼んだのです。
庄原市のweb site“倉田百三について”に『上野公園の瓢山古墳付近へ昭和32年に設立されたものです。碑文は“愛と認識との出発”に所収された「森の沼」の一節からとられています。』とあったので、倉田百三文学碑を訪ねたのです。
丘を上りきったところで最初に目にしたのがこの古墳でした。
そして、息子とわたしと同時に「前方後円墳だ!!」と発したのでした。それほど見た目すぐに前方後円墳とわかる古墳でした。 |
22.10.18..裕・記編集 |